妻は本当に僕のことが好きなのだろうか?

たとえば、なぜ海外移住を承諾してくれたのかが、いまだにわからないんですよ。

真知子は結婚・出産後も、大手食品メーカーのラボで研究者として働いていましたが、僕に転職オファーが来たので家族で移住したい旨を相談したら、「いいんじゃない」のひと言で、あっさり承諾してくれました。

だけど……移住を提案した僕が言うのもなんですが、大手企業での輝かしいキャリアを捨てることを彼女が簡単に受け入れたのは、今もって謎です。

移住後、彼女は一切仕事をせず、Kindleでひたすら本を読んでいて楽しそうではありますが、自己実現的な部分やアイデンティティ的な部分をどう処理しているのか、まったくわかりません。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

移住の話を持ちかけた当時、「ぶっちゃけ、もう働きたくないのよね」と僕に言ってはいました。ただ、本心かどうかの確信はいまだに持てないんです。

言葉どおり本当に就労意欲が減退していたところ、僕の転職と収入倍増話が渡りに船だったのか。あるいは、口ではそう言っているけど、本当はずっと何かを我慢しているのかもしれない。

ただ、「本心はどうなの?」と問い詰めて「実は……」と言われたところで、困ってしまいます。もしかしたら関係性が変わってしまうかもしれない。だから聞きません。聞かなければ平穏な毎日が続いていくので。あえて自分から、ちゃぶ台をひっくり返すようなことはしませんよ(笑)。

それで言うと、さらに根本的に、長らく僕の中でくすぶっている疑念があります。果たして真知子は、本当に僕のことが好きなのだろうか? と。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

互いが最愛の人ではない夫婦

なぜそんな疑念を抱くのか。それは、真知子と「メメント・モリ」的な意味で波長が合っている僕自身、真知子が最愛の人であるとは、必ずしも言いきれないからです。

実は僕、大学時代に真知子の前に付き合っていた元カノのことを、いまだに引きずっています。

その元カノ・美智子は、映画や本やアートといった文化的な趣味の波長が、真知子よりずっと僕に合っていました。僕と真知子の趣味がまったく合っていないというわけではありませんが、美智子には遠く及びません。

また、僕はパートナーから「愛している」といった言葉をたくさん欲しいタイプの人間ですが、美智子はものすごくそれを口にしてくれました。一方、真知子はまったく口にしない人です。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

元カノと現妻をそんなふうに比較するのが幼稚で愚かなことだと、頭ではわかっています。ただ、もし美智子が今、目の前に現れたら、僕は揺れてしまう。悩んでしまうでしょう。

つまり僕自身、妻の真知子を「生涯、最愛の人」と言い切ることができないんです。ということは、僕と同じく「他人に依存しないし期待もしない」生き方を信条としている真知子だって、同じかもしれない。最愛の人が僕ではない可能性は、十分にある。

この疑念は一生、解消されないでしょうね。真知子に申告する気も、確認する気もないので。墓まで持っていく案件です。

ただ一方、こういうことを確認しない、言語化しない、可視化しないからこそ、この先も家庭は円満だ、とも言える。家庭円満って、いったい何なんでしょうね?