メメント・モリ(死を想え)

育児は本当に仕事と同じで、夫婦で担当をきっちり分けすぎると、うまくいかないんです。基本は、余裕のある人がやる。「リソースに無理が出ないよう、動的に均衡させる」ってやつです。チーム単位で遂行する仕事とまったく一緒。

領分とか担当を属人的に決め込むと、自分が関与できない領域ができちゃうじゃないですか。これが夫婦の育児だと、もし妻がなんらかの理由で担当タスクをこなせなくなった場合、全体が回らなくなって、僕も不利益を被るでしょ。これは絶対に避けたかったんです。

要するに、軸足の半分を自分以外に置くような生き方が嫌なんですよ。そっちがコケたらこっちもコケるなんて、御免こうむりたい。

昔から僕、基本的には「ひとりで生きていけないと、まずい」って思考なんです。パートナーも家族もいていいけど、いなくても何ら困らない人生でありたい。

妻も子供も大切ですが、究極的には執着がないんです。「いなきゃ死ぬ」とはならない。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

うちの夫婦生活は、言ってみれば常時「メメント・モリ」状態なんですよ。毎日、いつ死んでも相手が困らないように、っていうマインドで生きてる。相手に依存しないし、期待もしない。「理想像」にはベットしない。

別に、何かに絶望してるわけじゃないんです。絶望というより、諦念かな。

妻の真知子とは、この部分で波長が合っていると思います。「私、これが達成できないと嫌だ」みたいな考え方をしない点も、僕と似ている。どこへ行きたいとか、何が欲しいとか、こういう結婚生活がしたいとかが、一切ない。他人への変な執着や期待もしない。

ただ正直言うと、真知子を完全に信じきれてはいません。出会いは大学時代なので、知り合ってから30年近く経ちますが、いまだに本心を測りかねるところがあるんです。