えらいところに来てしまった
竹澤勝昭少年は、3つの麻袋を担いで、出羽海部屋の門をたたきます。
「部屋に着いて『ごめんください』って言ったらね、それはもう、今までに見たことがないようなデカい人がぬうっと出てきた。後で知ったけど、前の年に入門した風ヶ峰 (当時序二段・のちの風ヶ峯)っていう兄弟子でね、背が2メートルぐらいはあった、うん。もうびっくりしたの何のってね。入門当時、俺は1メートル80センチ足らずだったんだけど、田舎にいた時は、俺より大きい人はほとんどいなかったからねえ。こんなデカい人間がいるんだって、もう驚いてね。こんな人と相撲を取るなんて考えられない。すぐ北海道に帰りたくなった。これはえらいところに来てしまったなってね。そうは言っても帰るわけにもいかない。仕方がないから『千代の山関に会いたい』って言うとね、『千代の山関は自宅にいる』と言って、その2メートルの兄弟子が、これまたデカい下駄を履いて、親切に案内してくれたんだよね」
特別大きな兄弟子の後ろをしばらく歩くと、千代の山関の自宅に到着します。立派な屋敷でした。兄弟子は「ここが、横綱の自宅だ」と言って帰って行きました。勝昭少年は玄関を開けて中に入ります。
「そこでまた二度目のびっくりですよ。応接間に通されて、しばらく待っていたら、風呂上がりらしき千代の山関が入ってきた。髪の毛はバーッと垂らした洗い髪でね。腰にバスタオルを巻いてね。当時はバスタオルなんて言葉はなかったかな。上半身裸で現れた。旭川の巡業で会った千代の山関は、痩せてガリガリに見えたんだけどね。それがこの時見ると、筋肉質のごっつい体だった。その体を見た時は、驚いたねえ。すごい体だなあって。しかも、マゲも結っていなかった。何より、顔もすごいしね。髪の毛を垂らすと、まさに鬼ですよ。鬼瓦みたいで、うん。今度こそ、もう帰ろうと思ったね。人間とは思えないもんね、ほんとに……。驚いたの何のって」
14歳の少年には、上京初日にあまりにも刺激が強すぎました。「大変なところに来てしまった」と思っても、もうどうすることもできません。親元を離れ不安な中で、これからどのように生活していくのか、いけるのか。
出羽海部屋での生活に慣れていくのにも時間はかかりました。
「慣れる前に、やっぱりつらかったねえ。食べる順番がやっと回ってきたら、おかずはないんだよね。寝ようと思っても、布団は油くさいし汚いし湿っているし……。稽古場の上がり座敷の板の間に、何人か並んで寝かされて、それはもう寒くてねえ。もう最初の晩から泣いてたよね。
どうだろう、ひと月ぐらいかな、毎晩のように、北海道を思い出しましたよ。生まれ育った北海道の楽しいことばかりが目に浮かぶよね。夏は川で泳いで、冬は山でスキー。勉強もせず、遊んでばかりいたからねえ。楽しかった。それを思い出すと帰りたいよね。歩いてでも帰りたかった。でも海があるから無理だよね。もし帰れたとしても、旭川で見送ってくれた両親や友達に合わせる顔がない。旭川駅のホームには、三橋美智也の『リンゴ村から』って曲が流れてたと思うよ。万歳三唱で送り出してもらったからね。まさに出征兵みたいなもんですよ。逃げて帰れるはずもなかったね。これから東京でね、こんな相撲部屋生活が続くわけだから、遊ぶなんてことは考えられないって思うと悲しかったねえ。
14歳、まだ子どもですよ。今、思い出してもつらかったよね。まあ、それでも3〜4年経ったら、少し遊びを覚えてきたけどね」
話に「落ち」を付けるのも北の富士さんの名人芸でした。
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2024年11月12日、82歳での別れから1年。
「第52代横綱」として、「千代の富士と北勝海、2人の名横綱を育てた九重親方」として、「NHK大相撲中継の名解説者」として、昭和・平成・令和と3代にわたり、土俵と人を愛し続けた北の富士勝昭。
大相撲中継で約25年間タッグを組んだ、元NHKアナウンサーである著者が書き残していた取材メモや資料、放送でのやりとりやインタビューなどを中心に、妹さん、親友、行きつけの居酒屋の店主など、素顔の故人を知る人物にも新規取材。「昭和の粋人」、北の富士勝昭の魅力あふれる生涯と言葉を、書き残すノンフィクション。
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文/藤井康生
※「よみタイ」2025年11月29日配信記事














