「出る杭」が打たれない条件
2000年前後、インターネットという新しい波が、世界を動かし始めていた。
「このチャンスを逃してはいけない」──
そうした危機感を抱き、日本でも若者たちが動き出した。渋谷には「ビットバレー」と呼ばれるベンチャー拠点が生まれ、古い常識に縛られない若い起業家たちが、新しい時代を切り開こうとしていた。
しかし、彼らの前に立ちはだかったのは、規制という壁だけではなかった。もっと厄介だったのは、常識という「時代の空気」だった。
たとえば、2005年、当時32歳の若手実業家・堀江貴文氏は、テレビ局の買収に挑んだ。だがその革新的な試みは「非常識だ」「マナーを知らない」「金の亡者だ」といった、人格批判や感情的な反発にさらされ、つぶされた。
後に堀江氏自身は株式をめぐる問題で逮捕されたが、それとは別に、当時の議論の中心は「若いITベンチャーがテレビ局を支配するなんて許せない」という感情論に終始していた。
出る杭は打たれたのだ。
その後も、テレビ業界は長らく変化を拒み、ネット配信の波にも乗り遅れた。
同じ頃、技術者の金子勇氏は、革新的なファイル共有ソフト「Winny」を開発したが、著作権法違反を幇助した疑いで逮捕される。最終的には無罪となったものの、その間に日本はP2P技術や分散型ネットワークの分野で、世界から後れをとった。
日本では、IT革命もデジタル革命も十分に花開くことはなかった。
「新しい挑戦をしても、どうせ出る杭は打たれる」──そんなあきらめが社会に広がり、挑戦よりも安定を選ぶ人が増えた。30年間、日本は足踏みを続けてしまった。
だが日本にも、出る杭が打たれず、若者の挑戦が成功した時代があった。それがまさに、明治維新だった。
今の日本にも、あのときと同じような転換点が来ているのかもしれない。
明治維新が成功したのは、「このままではまずい」という強烈な危機感を若者だけでなく社会全体が共有していたからだ。
幕府の重臣だった勝海舟は、海外の脅威をいち早く察知し、立場を超えて坂本龍馬や西郷隆盛に協力した。薩摩藩主・島津斉彬もまた、最新技術を積極的に取り入れ、若い人材を育成した。
民衆の間でも、「世直し一揆」や「ええじゃないか」といった動きが広まり、社会全体が変革を受け入れる空気に変わっていた。
若者の挑戦は「非常識な反乱」ではなく、「時代に必要な改革」として受け入れられた。
この30年、世界中はIT化やデジタル化を進めてきたが、日本は社会全体でその危機感を共有できなかった。変化を恐れ、現状維持を選び続けた。その結果、「どうせ社会は変わらない」というあきらめが私たちの心に染みついてしまったのだ。
しかし今、「時代の空気」は再び静かに変わりつつある。













