歴史を変える非常識な挑戦
常識を変えるのは、いつも若者だ。
日本の歴史を振り返っても、その事実は変わらない。
明治維新という劇的な改革を主導したのも若者たちだった。坂本龍馬が生涯を閉じたのはわずか31歳。西郷隆盛が倒幕を果たしたのも、まだ39歳のときだ。
さらに、さかのぼれば──中央集権国家としての日本の礎を固めた天智天皇は、たった19歳で大化の改新を成し遂げている。
なぜ、時代を動かすのはいつも若者なのか?
それは、若者には「守るもの」が少ないからだろう。既得権益や人間関係のしがらみが小さい。だからこそ、古い常識を疑い、迷いなく手放せる。
明治維新直前の江戸末期、日本は黒船の来航に揺れ、不平等な条約が次々と結ばれていた。「このままでは日本が外国にのみ込まれる」という強烈な危機感が社会全体をおおった。その危機を突破できたのは、常識から自由だった若者たちが、鎖国や身分制度といった「当たり前」を捨てられたからだ。
これは決して歴史に限った話ではない。今まさに、私たちの日常でも起きている。
上の世代はつい、「最近の若者」を批判したくなる。だけど実際には、彼らのおかげで私たちの労働環境は確実によくなっている。会社の電話に縛られることは減り、有給休暇をあきらめる風潮も崩れつつある。
「俺が若い頃は、有給休暇なんて全部取る奴はいなかった」
こうした言葉の裏には、いら立ちを超えたもっと複雑な感情が潜んでいる。
本当は自分だって休みたかったのだ。
会社のために身を粉にして働くことに、内心では疑問を感じていた人は、決して少なくないはずだ。けれど、当時はそれが許されない空気だった。だからこそ、「どうしてあいつらだけ自由なんだ」と複雑な感情が生まれる。理不尽さとうらやましさ。その両方が心を揺らす。
有給休暇を堂々と取る──そんな小さな革命は、20年前ならきっと失敗していただろう。今それが成功しているのは、若者が勇敢だからではない。会社の常識を疑いながらも、行動に移す勇気を持てなかった上の世代が、複雑な思いを抱きながら、若者の行動を認めているからだ。
社会の前提が変わり始めるとき、最初に常識を疑い、挑戦を始めるのはいつだって若者だ。しかし、非常識な挑戦だけでは、時代は動かない。
何かが本当に動き始めるのは、彼らを見守る人たちの心の中にも、変化が起きたときだ。
私たちが何の葛藤もなく、ただ常識を信じて生きていたら、新しい芽は、出る杭としてすぐに打たれてしまう。
「失われた30年」とは、まさにそういう時代ではなかっただろうか。
だから今こそ、常識と変化の間にある自分自身の葛藤を見つめ直す必要がある。













