人間はいまを生きるようにつくられている
いまを大切にするという生物学的な傾向を無視して、将来のことを考えようとすると、私たちはほとんどの場合、何をしていいのかわからない状況に陥る。人生の計画を立てるとしても、たいていは人生の終わりについてではなく、始まりにかかわるものだ。
子どもの人生設計について考えてみてほしい。親は、子どもが母親の胎内にいるときの経験(妊婦用のビタミン剤や、胎教で聴かせるモーツァルトの曲をイメージしてほしい)から、18年後によい大学に入学させるところまで、子どもを細かく管理する。
自立できる年齢になった子どもは、時間を限りなく使って空想にふけったり、助言してくれる人や友人とおしゃべりしたりしながら、仕事を選び、自分に合ったパートナーを見つけ、新たな家庭を築く。
私たちの多くは、自分が定年を迎える日について、ぼんやりとしたイメージをもっている。だが、退職記念に金時計をもらってから20年後に自分がいったい何をしているか、考えてみたことはあるだろうか。それどころか私たちは、65歳以降の人生を、運と遺伝子によってもたらされた「残りもの」だと考える傾向がある。
晩年の計画を立てることは喪失や衰弱や死を連想させることから、計画を立てること自体を心から不愉快に感じ、完全に先送りしてしまう人もいる。人はよく、老いというのは突然やってくるものだと語る。ある日、鏡に映った自分を見て、見知らぬ老人がこちらを見返していることに気づくのだ。
私たちだけの問題ではない。アメリカの社会保障局と公的医療保険制度(メディケア)はそれぞれ1930年代と1960年代に設立・導入されたが、当初はどちらも、人々が数年間の給付を受けたあとで亡くなることを前提にして設計されていた。














