人生で一番辛かったのは「太平洋戦争」、夫の戦死で一家心中図るも… 

しかし、箱石さんの人生は1941年に勃発した太平洋戦争で徐々に暗転していった。1944年、夫に召集令状が届いたときのことを、こう振り返る。

「主人が召集されたときのことは、今でも辛い記憶として鮮明に残っています。太平洋戦争のときがやはり人生で一番辛かったですね。2人の子どもを抱えて栃木の実家に疎開した日の夜に、東京大空襲があり、下落合に構えていた私のお店は500キロの爆弾を落とされて焼けてしまいました」

九死に一生を得た箱石さんは、女手一つで幼子2人を育てながら、疎開先でも簡易理髪店を作り、疎開児童や農家の人々の調髪を行なった。そして終戦から8年経った1953年、「理容 ハコイシ」を地元で開業。開店当初から店は大繁盛だったが、開業した年に、夫が旧満州で戦死した知らせが届いたのだった。

「終戦後、父と母が立て続けに病気で亡くなり、長女も脳性麻痺を患っていた。最後の希望だった夫の戦死を知った瞬間は、さすがにがっくりきてしまって、もう当てにできる人が誰もいないなと…」

生きる気力を失い、薬による一家心中を図ったが、長男の英政さんが親戚の家に駆け込んで助けを求めたことで未遂に終わったという。

昨年、108歳を迎えた箱石さん(左)の誕生日を祝う長男の英政さん(中央)と長女の充子さん(写真/英政さん提供)
昨年、108歳を迎えた箱石さん(左)の誕生日を祝う長男の英政さん(中央)と長女の充子さん(写真/英政さん提供)