アメリカの映画館との大きな違い
中嶋さんの人生は映画と並走してきたと言っても過言ではない。
小学3年生のとき、突然、自力で歩くことができなくなった。私立小学校に通い、おてんばだった彼女がなぜ歩けなくなったのか、現代医学でも解明できていないのだという。横断性脊髄炎という病名はついたが、下半身が動かなくなった理由も、治療法もわからない。
さまざまな病院を転々として、1年半を入院に費やした。ふさぎ込んだ彼女を同級生が誘った。「『タイタニック』を観に行こう」。以来、同作の虜になり、これまでに映画館で11回も楽しんだという。
かならず映画に携わる職業に就きたい。そんな想いを胸に、高校卒業後、中嶋さんはアメリカの短大への留学を経て四年制大学で学んだ。帰国後は通訳として働き、その後、映画の編集者に転身。
アメリカで観た映画館の光景をふと思い返すことがある。
「アメリカの映画館は、いろんな場所にスペースがあって、好きなスペースを車椅子ユーザーが選んで観れる選択肢がありました。日本の映画館にも車椅子席はありますが、通常の席から隔離されていたり、1つ2つの席が一番前に設置されていたりして必ずしも観やすい席ではないことが多いと感じます」
今回の出来事について、いま何を思うのか。
「自分が大切に思っている映画のことで、炎上してしまったことはとてもつらく悲しい気持ちになりました。しかし、議論を呼び起こしたことによって、社会をほんの少しでも変えることができたと今は前向きに考えられています」
中嶋さんが社会に提起した、日本の映画館のあり方。それは、障がいを持つ人が不便を強いられない映画鑑賞を実現させることにつながる。
「車椅子の人だけではなく、ベビーカーで来場する人にも対応していたり、耳が聴こえない人のために字幕をつけたり、目の不自由な人用に音声アプリがあったり、呼吸器をつけている人やてんかんがある人には防音仕様のシアターを用意できたり――。
そんな誰もが気を遣わずに映画を楽しめるバリアフリー映画館をいつか作りたいと思っています」
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失意のなかでも人は希望を語れる。炎上を通して、中嶋さんには、「誰もが映画を楽しめる映画館を作る」という新しい夢ができた。障がい/健常の差なく、すべての人が映画の臨場感に触れられますように。彼女の祈りはやがて現実となる。
取材・文/黒島暁生 写真/本人提供













