広告塔を務めた企業のオフィスを訪ねると…
高市氏が広告塔を務めたサブリミナルテープを販売していたA社は、東京都港区にオフィスを構えていた。住所の場所へ向かったところ、会社はすでになく電話番号も使われていなかった。
同じくサブリミナルテープを販売し、現在では別の業務を手掛けるB社の元社員に当時の話を聞いた。
「1980年代後半からサブリミナルテープは流行し始めました。日本ではアメリカで開発されたものを販売する会社が多く、当時は高市さんが(広告に)出ていたというA社を含む3社が、日本のサブリミナルテープ業界を引っ張っていました。私もですが、当時、相当儲かりました。各社とも売り上げが上々だったそうです。
日本でもオリジナルのサブリミナルテープがいずれ開発され、鹿島建設などが参入するなど、人気の商品だったと言えます。また、1990年代なんて、バブル崩壊もあり生活水準の向上が誰しも望んでいた時代ですから、売れたんですね。高市さん以外にもいろんな名のある女性が広告塔として起用されていました」
ただ一方で、10年ほどでサブリミナルテープ業界は縮小する。
「正直、科学的根拠はと言ったら明確にはなかったはず。だんだんとお客さんが離れていきました。でも高市さんが起用されていたのはびっくりでしたね」
高市氏はその後、1992年7月の参院選に無所属で出馬するも落選。だが、翌年の第40回衆院選でベテラン議員を抑え、得票数トップで当選。そこから国政の道を本格的に歩み始めた。
そして21日、初の女性首相となった高市氏は、出世も願望も「思い通り」にしたのであった。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班













