人類の幸福のための「奥崎教」 

––––坂本さんにとって『ゆきゆきて、神軍』の中で印象深いシーンはどこになりますか。

坂本 私は刑務官ですから、やはり神戸拘置所のシーンですね。奥崎さんの車が中に入ろうとして山の途中で止められるやつ。あの映像はずっと頭に残っています。

神戸拘置所の敷地に入るのを制止に来た刑務官たちに向かって奥崎は車の中から怒鳴り続ける。

「どけ言うのや、そこ、気に入らなきゃ、何かしてみい、おのれら、えっ、何かできたらやってみろ、お前らの、一人で、判断で、気に入らんなら、何か不満があったらやれ。何か文句あるんか、貴様、気に入らんなら、何なりとやれ、ようやらんだろ、貴様ら、人間のツラ一人もしとらんじゃないか、天皇ヒロヒトと同じだ、ロボットと同じだ、貴様ら、命令か法律に従うだけか、くやしかったらやってみろ、何か、ようやらんだろ、貴様」

孤軍奮闘で巨大な国家に立ち向かい大演説を放つ奥崎と、何を言われても無言のまま立ち尽くす制服姿の刑務官集団のコントラストが印象的なシーンである)

 奥崎さんは私らと付き合い始めた頃には、もう人類の幸福のための独自の「奥崎教」を作ろうとしていた。人間を皆平等にして貧乏を失くして、みんな幸せに豊かに暮らせる。

既存の宗教は嫌いなんだけど、神様の力でそういう世の中を作る。自分はそういう神様のために働いている軍隊だとね。天皇のための軍隊は皇軍だから、自分は神様の軍隊でそれで「神軍」になるわけ。

天皇の軍隊と違って神様の軍隊だから階級はないわけ、平等なんだ。だから神軍平等兵奥崎謙三と名乗った。論理的にはなるほどっていう説得力を持つよね。たった 1人の神軍平等兵だから。

「それじゃ、神様のために神殿が必要じゃないですか、どういう神殿をイメージしてらっしゃるんですか?」って聞いたことがあるんですよ。

そしたら独居房がモデルだって言うんです。私がよく分からんなっていう顔してたら、じゃあ見学に行きましょうとなって神戸拘置所に向かったんです。

本物の独居房の寸法を測って設計して神殿として家の屋上に作ると。それで敷地に入ろうとしたら、即、車を止められた。そこで刑務官に罵倒を始めるわけですよ。「貴様ら、ロボットか!と」。 30 分ぐらい怒鳴ってたんじゃないかな。

坂本 神戸拘置所は丘の上にありますからね。その途中で止められたんですね。ああいうときは現場の刑務官に対応させて拘置所の上の人間は出て来ないです。奥崎さんもおそらく独居房の見学の許可は出ないと分かっていたんじゃないかな。

坂本敏夫/作家、元刑務官。1947年、熊本県生まれ。父と祖父も刑務官で、刑務所や拘置所の近くにある官舎で育ち、自らも19歳で刑務官に。1967年、大阪刑務所の看守を最初に神戸刑務所・大阪刑務所係長を務めた。法務本省事務官、東京拘置所課長などを経て、1994年、広島拘置所総務部長を最後に退職
坂本敏夫/作家、元刑務官。1947年、熊本県生まれ。父と祖父も刑務官で、刑務所や拘置所の近くにある官舎で育ち、自らも19歳で刑務官に。1967年、大阪刑務所の看守を最初に神戸刑務所・大阪刑務所係長を務めた。法務本省事務官、東京拘置所課長などを経て、1994年、広島拘置所総務部長を最後に退職

 怒鳴り上げたくだりを撮ってインタビューしようとしたら、「原さん、今の私の演技いかがでした?」って言ったんですよ。ショックだったね。この人、演技という感覚を持ってるんだって思った瞬間、本当にショックだった。

でもその演技を基準に奥崎さんのやってきたことを全部照らし合わせてみると、見事に全て一貫して演じてんだよね。

いつも言っていたのが、『奥崎謙三を演じることにかけて奥崎謙三の右に出るものはいないのであります』ということ。当たり前じゃないかと思ったんだけども、そう。もう信念なんだよね。演技の中核にあったのが、神軍平等兵だった。