受刑者のヒーローだった奥崎 

––––大阪刑務所の中でも奥崎さんは自分の考えで暴力事件を起こして独居房に入れられるわけですが、そのきっかけというのは何だったのでしょうか。

原 それも戦争体験にあって、ニューギニアに向かう船の底で寝ていると上官がトイレに行く度に少年兵の間をまたいでいったそうなんです。

失礼な奴だと思ったけど、我慢したと。ところが上官は酔っぱらっているから1回だけじゃなく何度もトイレに行く。その都度、こらえていたけど、3回を越えたら殴ろうと決めた。

できればもうこれ以上、またがないでくれと願っていたけど、とうとう4度目になったので飛び起きてポカポカぶん殴ったというんだね。それで軍法会議にかかるのかと思ったら、その上官が「お前は正しい」と言ってくれておとがめなしになった。

独裁者や権力者には暴力を振るっても良い。正しいことをすれば受け入られるという信念が形づくられたと言っていました。

原一男/1945年、山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退後、72年、疾走プロダクションを設立。同年、『さようならCP』で監督デビュー。87年、『ゆきゆきて、神軍』を発表。大ヒットし、日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリなどを受賞。近作に『れいわ一揆』『水俣曼荼羅』など
原一男/1945年、山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退後、72年、疾走プロダクションを設立。同年、『さようならCP』で監督デビュー。87年、『ゆきゆきて、神軍』を発表。大ヒットし、日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリなどを受賞。近作に『れいわ一揆』『水俣曼荼羅』など
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 坂本 刑務所内での暴力も自分は私憤ではなく3000人の受刑者のためにやっているとう意識がありましたね。だから人気がありました。当時、大阪刑務所にはかなりの割合で朝鮮の人が多かったんですよ。在日コリアンに対する差別も厳しくて、それこそヤクザになるしか生きていけないような社会環境があった。

奥崎さんは、上には歯向かっていましたけど、障害をもった受刑者には優しかったし、私たちのような若い者には、「お前たちも組織が縦社会だから大変だろう」と気さくに話してくれました。

受刑者の間では、俺たちの言えないことを言ってくれるということでヒーローでしたよ。出過ぎた釘は打たれない、罰せられることはないということで。兵庫県警も奥崎には弱かったでしょう?

 弱かったですね。映画でもそのシーンを使いましたが、当時の兵庫警察の警備課長が先生と呼んでいましたから