「飛ぶな、落ちろー!」1998年長野五輪スキージャンプ金メダルの知られざる舞台裏、メンバーに入れなかった葛西紀明の血涙
1998年、長野オリンピックで日本はスキージャンプ団体金メダルを獲得した。メンバーは船木和喜、原田雅彦、岡部孝信、斉藤浩哉選手の4名。現在も現役選手として活躍する葛西紀明の名前はそこに無い。だが葛西選手いわく長野で金メダルを獲れなかった経験が、現役を続けるモチベーションになっているという。
書籍『限界を外す レジェンドが教える「負けない心と体」の作り方』より一部を抜粋・再構成し、なぜ団体メンバーに入れなかったのか、その舞台裏を明らかにする。
限界を外す レジェンドが教える「負けない心と体」の作り方 #2
日本の快挙
一番手の岡部さんが、白馬のバッケンレコードとなる137.0メートルの大ジャンプ。
二番手の斎藤さんが、K点超えの124.0メートル。
三番手の原田さんが、起死回生となる137.0メートルの大ジャンプ。
この時点で、日本はトップに。
そしてアンカーの船木選手。ノーマルヒル個人で銀、ラージヒル個人で金。彼がしくじらなければ、日本は金メダルです。
「飛ぶな、落ちろー!」そんな僕のかけ声をよそに、船木選手は堂々と飛んでいきました。125.0メートルのK点超えのジャンプで、日本は団体で初の金メダルを獲得。日本ジャンプ陣の金メダルは1972年札幌オリンピックの笠谷幸生さんの金メダルに次ぐ、二度目の快挙です。
会場は熱狂。僕はいたたまれなくなり、その場を去りました。悔し涙が止まりませんでした。母に見せたかった長野オリンピック。僕が獲るはずの金メダル。
写真はイメージです 写真/Shutterstock
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やり場のない怒りで、はらわたが煮えくり返りました。その夜はセレモニーにも参加しませんでした。同じく選考に漏れた吉岡和也選手と悔しさを共にし、「このままでは終わらない、次のオリンピックで必ず金を獲る」と強く心に誓いました。
あのときの悔しさは、一生忘れられません。今でも白馬のジャンプ台に行くと、金メダルをかけた4人の写真があるので、見るたびに悔しくなります。
僕が50代になってもジャンプを続けているのは、あのとき、長野で金メダルを獲れなかったからです。もしも長野で金を獲っていたら、そこで満足して、もっと早く引退していたでしょう。
限界を外す レジェンドが教える「負けない心と体」の作り方
葛西 紀明
2025年9月17日発売
1,067円(税込)
新書判/224ページ
ISBN: 978-4-08-721379-9
50代に入っても国内大会で連続優勝し、世界の舞台に返り咲いたスキージャンパー葛西紀明。8度の五輪出場を果たし「レジェンド」と呼ばれる男は、ランニングをはじめとした練習法、習慣を工夫することで心技体を整え、現役選手として年齢の壁を超え続けている。
「負けたくない」気持ちを原動力に、妥協せず積み重ねた努力とは? 自らの限界を外してきた軌跡、そして年齢を重ねても成果を出し、挑戦し続けるための思考法、セルフマネジメントの極意を語る。
◆目次◆
第1章 限界を外すことで進化してきた
第2章 どん底からの復活
第3章 限界を超すメンタルをつくる
第4章 限界を外す体のつくり方
◆主な内容◆
●4年ぶりの復活
●51歳で見直した減量とランニング
●ランニングは一石三鳥のトレーニング
●限界は少しずつ外す
●50歳を超えても進化している理由
●「負けたくない」という気持ちが原動力
●コントロールできるのは自分だけ
●三日坊主にならないために
●コンフォートゾーンを超える
●若い選手から刺激をもらう
●20年かけて完成したジャンプ
●逆境こそがチャンス
●53歳の練習メニュー