――魅力的なキャラクター、といいますと、今作の虚池と古戸馬もでしたね。
宮田 私も二人ともとても好きだったんですけど、虚池さんとの距離感がむずかしくて……。どうしても「虚池」って呼びづらくて、私の中ではずっと「虚池さん」って思ってるんです(笑)。 逆に、古戸馬は「古戸馬君」って呼んでます。そういう絶妙な何か距離感の、古戸馬君のほうがやはり親しみやすさがあって「君」とつけやすいけど、虚池さんは、どうしても「さん」づけになっちゃうんです。近づいたと思うと離れてしまうような人となりがめちゃめちゃよくて。これは沼だなと思いながら読みましたね。かっこいい。やはり賢い人って格好いいんだなと思いました。
――この二人はどういうイメージで生み出されているんですか。
森 ミステリだから、ある程度ワトソンとホームズ的なところはあるんです。ただ、今作は〈黒猫シリーズ〉への回帰みたいなところがあったんですよ。僕は作風の幅が広いので、ファンに不義理をしてきたこともあり、そろそろちゃんと最初に推してくれていた人たちのほうを振り向かなきゃなみたいなのもあって。
このシリーズ、ちょうど六話にしようと決めていたんですけど、六話にしようと思ったときに、〈黒猫〉といろいろリンクしていくような話にしていこうということで、まずは同級生の二人というところでかぶせて、あと一話と六話を月で終わるというふうにしようと考えて、ラストの終わり方は、実は『黒猫の遊歩〜』の終わり方とほぼそっくりにしているんですね。そして虚池と古戸馬の関係性も、こちらは男同士ですけれど、〈黒猫シリーズ〉の二人における恋愛的な側面ではない部分、そういったところを掬い上げたいなと思っていました。
宮田 このキャラクターたちは、自由に動かせるというか、動いてくれた感じなんですね。
森 自由でしたね。書きやすさでいったら、この十年ぐらいで一番だったんじゃないですかね。ほっといてもしゃべってくれるから。
宮田 虚池さんは本当に人を食ったような物言いもするし、異常に賢過ぎます(笑)。最初に野良句を見た段階でほとんどもう分かっているんだけど、古戸馬君を一緒に連れ回して解までたどり着いていく。それが各話での様式美としてありましたが、虚池さん、古戸馬君のこととっても好きなんだなと思いましたね。一人ですぐに解決してしまえばいいのに、古戸馬君が解にたどり着くまで一緒に連れ回している。古戸馬君とのこのやり取りがしたいんじゃないかなと、それを彼は楽しんでいるんじゃないかなと思って。それが楽しいから一緒にいるんだろうなと思うと、何かこの二人、いいな~と。読む方によっては、二人の関係性は萌え的に読めると思いますし。編集者と俳人というバディ物というのも、面白いですよね。
森 やはりどうしても作家と編集って、どこかで成果出さないといけないみたいな関係があるじゃないですか。でも、俳人と編集者ってどうなんだろうと思って。もしかしたら少しそこを超越して、違う絆がありそうだなと思って。僕などはエンタメの世界にいるものですから、成果を出さないと次がないみたいなことの連続なので、もう少し気楽な編集さんと作家の関係というのを見たいなと思ったんです。
宮田 それがこの二人の関係性というか、距離感みたいな。
森 そうですね。ところで、虚池を「さん」づけで呼んでしまうということでしたけれど、普段からそういったことはあるんですか?
宮田 読み終わった後に人に感想などを話すときに何て言ったらいいか分からなくなるんです。この距離感で呼んだら怒るかなみたいな……。だから、自分の心の中で呼ぶときは作中で呼ばれている呼び方だけど、人に外で話すときは「さん」をつけるとか「君」をつけるとか、そういう感じなんです。私、登場人物との距離感が測りづらくて。人見知りしないほうなんですけど、小説の登場人物にはなぜか人見知りしてしまう。
森 面白いですね。
宮田 自分のキャラクターも呼び方が違うんです。作中での呼ばれ方と、地の文の呼び方と、自分の呼んでいる呼び方が違うので。あだ名をつけたりとかもします。
森 登場人物との距離感といいますか、実在性への感覚が興味深いです。
「言葉が紡ぐ謎と青春」森晶麿×宮田愛萌(作家・タレント)『虚池空白の自由律な事件簿』刊行記念対談
森晶麿さんの新刊『虚池空白の自由律な事件簿』の刊行を記念し、作家・タレントとして活躍する宮田愛萌さんとの対談が実現。
自由律俳句と短歌という異なる詩型を軸に、創作の背景、言葉へのこだわり、そして物語の構築方法まで、深く語り合っていただきました。
構成/集英社文芸編集部 撮影/隼田大輔 ヘアメイク/yùlaly
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