「イカ天」の功績と罪
イカ天については、純粋なアマチュアバンドコンテスト然としていた番組初期と、メジャーレコード会社がプロモーションのため、デビュー予定のバンドを顔見せとして送り込んでいた中期以降では、番組の性質が違うと見る向きもあるが、1990年12月の番組終了までに約850組ものアマチュアバンドの演奏を放送に乗せ、数多くの実力派を世に送り出した功績は大きかった。
その一方で、下積みの実績なく、実力のほども定かではないポッと出のバンドを、瞬間風速のみで人気バンド風に仕立てて見せた罪もまた大きい。
イカ天に出演し1989~1991年にメジャーデビューを果たしたバンドとしてはフライングキッズ、ジッタリン・ジン、ビギン、たま、マルコシアス・バンプ、人間椅子、ブランキー・ジェット・シティ、カブキロックス、ピンクサファイア、AURA、宮尾すすむと日本の社長、クスクス、ノーマ・ジーン、スイマーズ、リモート、ザ・5.6.7.8'S、有機生命体などがある。
現在も活動を続けているバンドもあれば、早々に華々しく散ったバンドもいる。そしてレジェンドとしていまだに語り継がれるバンドも。
だが、こうした一部のトップバンドは、たとえイカ天がなくても遅かれ早かれ世に出てきたはずだ。むしろイカ天によりテレビサイズに矮小化されてしまったことがデメリットとなったバンドもいた。
しかしそれ以外の多くの無名バンドは、イカ天に出て一発で顔を売ることを目指し、番組サイドや視聴者もそれを待ち望んでいた気配があった。インパクト重視の色物バンドによるお祭り騒ぎが、バンドブームに水を差したことは否定できない。
イカ天によってロックバンドはより身近な存在になり、“バンドやろうぜ”ムードも盛り上がった。
町田町蔵は僕が編集に携わったムック『宝島AGES』のインタビューで、1970年代末から1980年代初めごろのバンドと観客の関係について、「そのころのバンドのライブは、観客の顔つきも今とはまったく違い、楽しんでいるというよりも切実に何かを求め、ミュージシャンは神か教祖あるいはシャーマンであるかのように思いこみ、その人を通じて“何か”をつかみ取ろうという期待のようなものを感じた」と語ったが、それから10年が経過したバンドブームのころ、何かをつかみ取りたいと思ったキッズは、すぐにギターショップへ走るようになったのだ。
テクニックも何もなくても、伝えたいことがあればバンドをやるというのはパンクやインディーズカルチャーの本質と同じではあるが、この時点においては逆に作用し、バンドという存在のカリスマ性を削ぐ結果となった。
文/佐藤誠二朗