「これが最後のライブかもしれない」と1人で泣いていた

──それだけ手術が多いと、ふだんの体調はいかがですか?

実は、がんの影響で体調が悪かったことは1度もないんですよ。2年以上薬を飲んでいるので、副作用があるくらいです。

ただ、最初の手術は2週間くらい管を入れた状態の入院生活で、痕も残ったりと大変でした。術後も半年ほどは違和感が残り、ライブ中に痛くなる瞬間もありました。

一時は抗がん剤治療も検討し、気分を上げようと帽子をたくさん購入したという(写真/本人提供)
一時は抗がん剤治療も検討し、気分を上げようと帽子をたくさん購入したという(写真/本人提供)

──noteやXを拝見すると、乳がんと明るく向き合ってらっしゃいますよね。

他の人よりちょっと元気なさそうなだけでめちゃめちゃ心配されちゃうので、誰よりも元気そうにはしてるんですよね(笑)。

でも、最初にがんが確定した2023年は、どんどん不安になっていました。しこりが明らかにおかしかったのですが半年ほど放置していましたし、病院に行っても手術しないと乳がんかわからず、摘出後しばらくしてから「乳がんでした」という感じなので、その間はずっと……。

乳がんと診断されてからも、検査や診察のたび「結果によってはアイドル活動できる日常が崩れてしまうのではないか」という気持ちがあり、常に薄氷を踏んでいるようで……。

SNSでは闘病を明るく発信しているが、取材中は言葉に詰まる場面もあった(画像/本人noteより)
SNSでは闘病を明るく発信しているが、取材中は言葉に詰まる場面もあった(画像/本人noteより)

──はっきりしないとその間はずっと不安ですよね……。その不安を解きほぐす存在などは?

当時は家族にも言えず、1人で抱えていました。メンバーにも言わずにライブに出ていたので、私がライブ中に泣いたときも意味がわからなかったと思います。

──泣いたライブというと?

私のいる大宮I☆DOLLは応援歌のような曲が多いんですが、『永遠Dreamer』という曲に「悲劇的なシナリオだって/きっとこの手で変えてみせるから」という歌詞があって。

誰にも言えなかったからこそ、歌詞が自分に寄り添ってくれるようですごく響いたんです。当時は毎回「これが最後のライブかもしれない」という気持ちで立っていたので、1人で泣いてました。

ライブ中の市ノ瀬律さん(写真/本人提供)
ライブ中の市ノ瀬律さん(写真/本人提供)

──やはり、歌に懸ける思いは変化しましたか?

歌詞の理解が深まりました。ファンの方からも、前より魂を感じるとか、歌への感情や重みが違うと言われることが多いです。

実際、自分たちの歌に励まされる側になったら、染み込み具合が全然違ったので、誰よりも重みを表現できるかなと思います。

──ご自身で作詞作曲もされていますが、そちらも感じ方は変わりましたか?

そうですね。1月に弾き語りのソロコンサートでファンの方に向けて作った『陽だまりの記憶』というオリジナル曲を披露したんですけど、「笑い方を忘れた/息をするのも諦めた/この道の先で君と出会えた」という自分で書いた詞が自分に染みて、歌うたび泣けるんですよ。

私の人生や感情をつづった曲だけど、聞く人によって自分を重ねられると思うので、それぞれに響く曲だったらいいなと思います。

ステージを併設したアイドル育成型ライブカフェ・アイドール大宮で行なった弾き語り(写真/本人提供)
ステージを併設したアイドル育成型ライブカフェ・アイドール大宮で行なった弾き語り(写真/本人提供)