2025年7月に、集英社オンラインで反響が大きかった人気記事ベスト5をお送りする。
第1位は、浜松で起きたガールズバーでの刺殺事件だ。「殺意があった」と供述している容疑者の、歓楽街での素顔を取材した。
第2位は俳優・石田えりさんのインタビュー記事。10代でデビューし、裸になる役が多かった石田さんはいっとき「外を歩けない」と思うほど性的な視線に苦しんだという。
第3位は元いいとも青年隊岸田健作さんの半生を振り返るインタビュー記事、第4位は「だっちゅーの」で一世を風靡し今は歯科助手となっている西本はるかさんのインタビュー記事、第5位は工場閉鎖が発表された日産の現地の受け止めを取材した記事だ。
第1~5位のランキングは以下の通り。
1位
〈浜松ガールズバー2人刺殺〉「テメエ喧嘩売ってるの?」背中に仁王の刺青…逮捕された“山ちゃん”はクロムハーツの偽物をつけ孤独に来店、客に絡んで腕相撲大会
2位
デビュー以来、セックスシンボルと見られて「世の中を恨んでいた」俳優・映画監督 石田えりが、逃げ回るのを止めて選んだ逆転の戦略
3位
「笑っていいとも!」で大ブレイクもその後、ホームレスに…現在は町おこしをプロデュースする元“いいとも青年隊”岸田健作の波乱万丈人生
4位
元パイレーツ・西本はるか、なぜ“だっちゅーの”から歯科助手へ? 「ナンパもゼロ、治療中に胸が当たることもにないです」と明かす意外すぎる現在地
5位
〈日産が2工場閉鎖を発表〉従業員は「家を買ってしまった人はどうすれば…」「十数万人の仕事がなくなる」主力工場が消え横須賀市追浜は大打撃、経営陣に怒り…近隣タワマンも着工延期
↓以下記事本編
56歳でファッション界の巨匠カメラマン、ピーター・リンドバーグと写真集を創刊したり、サーフィンを本気で楽しんだり、自由奔放なイメージの俳優・石田えりさん。だが、15歳でデビューして人気絶頂の頃には、実は「世の中」を恨んで、外に出ることができないほど苦しんだという。今も昔も変わらない女性のセクハラ被害について、今、思うところを赤裸々に語る。
テレビ局のディレクターに無理やりホテルに連れ込まれて
14歳で、田舎から出てきて芸能界にデビューした私は、本当に右も左もわからない、世間知らずで、頭が空っぽの子どもでした。
やっとお酒も飲める年齢になったころ、ある民放のテレビ局の連続ドラマに出演していて、その番組のディレクターから食事に誘われたことがありました。どこの局とは言えませんが、フジテレビではありません(笑)。
食事をご馳走になって、お酒も飲んで、タクシーに乗せてくれるので、家まで送ってくれるのかなと思って乗り込んだら、着いたところはホテルでした。
でも当時の私は、本当に子どもでバカでしたから、その意味がよくわかっていなくて、のこのこ付いていきました。
ホテルのバーで飲むのかな、と思っていたら、いきなり客室に連れて行かれました。それでも私はまだ事態を理解していませんでした。
部屋の中で飲み直すのかな、くらいに思っていたのです。部屋の中で、最初どうしていたかは、よく覚えていません。

その後、わけがわからないまま押し倒されて、ほとんど抵抗する余地もありませんでした。でも、レイプとか性的暴力と言うことはできません。本当に何が起こったのか、はっきりと思い出せないくらいだったので。
明け方、一人で家に戻ったあと、後悔の念ばかりが押し寄せてきました。子どもだった私は、ただただ自分を責めました。自分が悪いんだ、自分の責任だと、それからしばらくの間、ずっと自分を責め続けました。
女性の場合、明らかなレイプでない限り、相手が悪いという発想は浮かばないのではないでしょうか。
このような経験は、私が特別だとは思いません。私たちは、そういう危険な世の中に生きているんだと思います。今、あの時のことを思い出すと、その程度の男とその程度のことをしたとしか思っていません。
性的な対象として見られる「世間の目」が苦痛だった
私は、デビュー以来、映画で裸になる作品が多かったので、性的な対象として見られることが、すごく多かったんです。
映画で裸になっているシーンの写真が出回ったりもしましたし、「誰と付き合っている」という話も、性的な対象として噂が出回ったり、記事になったりしていました。
お仕事上のお付き合いのある人とも、ときどき危ない目には遭いましたが、よく聞くような「枕営業」とか、それを断ったら仕事を干されるとか、そういうことはありませんでした。私個人は、そのようにして築いたキャリアは、砂上の楼閣だと思っています。
新幹線のホームに立っていても、男の人たちから、ものすごく舐めまわすような視線で見られて、気持ちの悪い思いをしたことも何度もありましたし、実際に卑猥な言葉を投げかけられることもありました。
「このままじゃ、外を歩けない」と思うほど、私を性的な対象として見ている世間の目が、苦痛でした。
「ひどい世の中だな」と、世の中を恨んでいました。外に出るときには、サングラスをかけて、帽子を目深にかぶり、顔を隠して歩いていました。いつも、コソコソ逃げ回ってばかりでした。