現ロッテ・田村も舌を巻いた“高2”松井のスライダー

松井裕樹(桐光学園)の名を一気に全国区に押し上げたのが2012年夏の甲子園の1回戦、1試合22奪三振を記録した今治西戦だった。

それまでの夏の甲子園における1試合最多奪三振記録(9イニング)は「19」。2000年の浦和学院・坂元弥太郎(元西武など)、2005年の大阪桐蔭・辻内崇伸(元巨人など)などの名投手が並んでいたその記録を、当時2年生の左腕が軽々と飛び越えたのだ。

この夏の松井の代名詞は“消えるスライダー”と呼ばれた魔球だ。その対策として今治西は「スライダーは捨て、直球のみを狙う」「バットは短く持ち、狙い球は上から叩く」という戦略を立てた。

しかし、当時MAX140キロ台中盤のストレートに加え、松井のスライダーはリリースの位置や腕の振りががストレートと完全に一致。つまり変化の予兆がほとんど見えないため、松井は立ち上がりから奪三振ショーを展開した。

〈甲子園最多22奪三振〉「打つ瞬間に消える」現ロッテ捕手も驚愕した松井裕樹の魔球…プロでの活躍を決定づけた甲子園での経験_1
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序盤3回までで奪三振は7。6回からは驚異の「10者連続奪三振」を記録するなど、外野手がほとんど動くことのない試合内容に、球場全体が異様な空気に包まれた。このスライダーはプロレベルならともかく、高校生ではたとえ研究を積み重ねても攻略は困難だったことは間違いない。

対戦した打者は口々に「見えているのに振らされる」と語り、1学年上で同大会準々決勝で松井と対戦した光星学院の田村龍弘(現ロッテ)もこの球について、「打つ瞬間に消える」と証言している。

打者は視認していても反応が追いつかない。いかに「視覚情報」と「運動反応」の時間差を利用するか──松井は本能的に、あるいは意識的に、それを理解していた。

17歳ですでに「球速」「球種」「配球」による“打者攻略のロジック”を持っていたのが、松井裕樹という投手だった。