2度目のあの場所へ
「やるしかない」。09年1月2日、腹をくくって小田原中継所に立った。食事も十分にとっていた。最後尾の23位でタスキを受け取っても焦りはない。「自分の走りに徹しろ。お前なら大丈夫だ」。朝、今井さんにかけられた言葉を胸に走り出した。
アドバイス通り自分のペースを刻み続け、快調に天下の険を登っていく。あの日、急に力が入らなくなった場所が近づく。再び足の力が抜けた感覚があった。
「またか」と悪夢が頭をよぎった。不安を抱えて50メートルほど走ると、違和感は消えた。思い過ごしだった。往路のゴールテープを切ると、仲間に抱きかかえられた。心の底からホッとした。「走りきったぞ」。自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
解説者として見守っていた今井さんは涙が出そうだった。「吹っ切れた顔で走っていて、神様が与えた厳しい試練を乗り越えた姿に感動した。この経験はきっと今後の人生に生きると思った」と振り返る。タイムは新記録を樹立した「2代目山の神」、東洋大学の柏原竜二さんに及ばなかったが、堂々の区間2位だった。
挫折を乗り越えた男は強かった。日清食品に入社して1年目の10年の元日、群馬県で行われた全日本実業団対抗駅伝。アンカーを任され、チーム初優勝の立役者となった。
両親や友人らが見守った地元の上州路で区間賞の走り。満面の笑みを浮かべ、ガッツポーズをしながらゴールテープを切った。「やってやったぞ」。ようやく途中棄権の呪縛から解き放たれた気がした。
15年日本選手権の5000メートル4位入賞といった実績を残し、19年で現役を引退。人生の新たな舞台に選んだのは、指導者の道だった。「会社員として生きるより、若い人を育てることに魅力を感じた」
慶應義塾大学、慶應高校のコーチを経て23年春、母校の前橋育英高校に戻ってきた。男子の駅伝監督を任されている。指導した生徒が力を伸ばし、タイムを出した瞬間が、自分のことのようにうれしい。「快感でやめられないですよ」と笑う。