重圧、痛み始めた横腹
順調だった歯車は、5区を走ることが決まった秋頃に狂い始める。「今井さんのように走れるだろうか」。不安に襲われ、練習中、急に横腹が痛み始めた。怖くて食事を十分にとれない。
1日に4000キロカロリー程度が必要なのに、ひどい時は、おにぎり一つ(約170キロカロリー)で過ごした。それでも、走り出すと腹がキリキリと痛んだ。
間もなく、左足のアキレス腱(けん)に違和感を覚える。「こんなことで大丈夫なのか」。精神的に追い詰められていく。決定的だったのがレース直前、2区を走る予定の4年生エースの故障欠場が決まったことだった。
「自分が山登りで順位を上げるしかない。もし、途中で腹痛が起きたら、大変なことになる」。取った行動が、大一番での食事制限。今なら無謀だとわかる。「後悔しかない。食べていれば、棄権はなかった」
歓喜の優勝から1年で、天国から地獄へと突き落とされた。「テレビの中の出来事」だと思っていた途中棄権を、自分がしてしまうとは。その後の記憶はほとんどない。監督からかけられた言葉も、尊敬する今井さんに励まされたことさえも。
仲村さんは悔やむ。「ほかの選手の故障や出遅れで小野に過剰な重圧がかかってしまった。体調にもっと気を配り、食事を抑えていることまで把握しておくべきだった」
しばらくは外に出るのも嫌だった。4年で主将になったものの、腹痛を抱えたまま、自分の走りを取り戻せるのかと不安ばかりが募った。血流を良くする薬を飲むと、安心感もあって症状が緩和。全てを背負うのではなく、仲間を頼ることも覚え、復調した。
最後の箱根駅伝でエースをどこで走らせるか。仲村さんは頭を悩ませた。「小野はこれから実業団で活躍する選手。過去から逃げてはいけない。箱根の借りは箱根で返して、失敗を乗り越えてほしい」。同じ5区での起用を決断する。