「山の神」の後継者として
順風満帆な競技人生だった。生まれ育った群馬県の富士見村(現・前橋市)で、足の速い小学5、6年生が入れる陸上チームのメンバーに選ばれた。長距離走は、自分が一番輝ける場所だった。
毎年正月、テレビで見る箱根駅伝への出場を夢見た。前橋育英高校に進むと、全国大会で活躍し、恩師から母校の順天堂大への進学を勧められた。ほかの強豪校からも誘われたが、今井さんを筆頭に、有力な選手がそろっていたことが決め手となった。
1年でいきなり箱根駅伝の7区を任され、区間2位の好走を見せる。「走っている20キロで、一度も沿道からの声援が途切れなかったことが衝撃的だった。注目度の高さを肌で知った」
練習では今井さんと組むことが多かった。身長1メートル70センチ、体重55キロの体格はほぼ同じ。登りが得意なのも似ていた。「山の神」は誰よりもストイックだった。前夜に深酒しても、練習で手を抜く姿を見たことがない。
今井さんは後輩にも頻繁に声をかけた。「自分も不安なんだ」。大会前のミーティングで、仲間を引き締めるため、涙を流して訴えたこともあった。憧れの存在だった。
エース区間の2区を任された2年の時、「陸上人生で一番の喜び」に浸った。主将の今井さんが首位に立ち、チームは6年ぶり11回目の制覇を果たす。ゴールの東京・大手町で仲間と抱き合った。
10人のメンバーのうち、卒業した4年生ら7人が抜け、07年は3年生ながら主力になった。「自分が引っ張っていかなければ」。5月の関東学生陸上競技対校選手権で、1万メートルの自己ベストを更新し、日本人トップの2位。絶好調だった。
「今井の後、山登りを託せるのは小野しかいない」。仲村さんはそう思っていた。馬力のある走り、精神的な強さ、足の運び方……。登りに適性があった。