移動できることは、当たり前ではない
能登半島地震のあと、ある政治家がSNS上で発した「地震前から維持が困難だった集落で、地震で甚大な被害を受けたところは、復興するより移住を組織的に考えるべきだ」といった意見が話題を呼んだ。このつぶやきに対しては、賛同と批判の声が入り交じった。
たしかに、人口減少や少子高齢化が進むなかで、長期的に考えたら移住は必要なのかもしれない。しかしそれは、政治が誘導し道筋をつくり、住んでいる人たちが合意するという、「みんなが移動できること」を前提にした意見である。
「移動したほうがよいと思っていてもできない人」や「移動の判断や決定が難しい人」がいるかもしれないという、他者の移動への想像力は欠けていたように思う。
地震から少し時間が経って問題となったのは、被災者が比較的長期間にわたって避難生活することを想定した場所への移動を意味する「二次避難」である。一見すると、すべての人が二次避難したほうがよいように思うかもしれない。しかし、被災者の中にはさまざまな理由で移動が難しい人もたくさんいた。
たとえば、重度の障害者など、生活するうえでさまざまな配慮を必要とする人たちの中には、住み慣れた場所を離れることが難しい人も少なくない。知的障害のある人たちが生活している施設では、生活環境が変わることが負担となったり、気持ちが不安定になり自分を傷つけたりする人もいるため、二次避難はしないという決断をしたところもあった。