仕事でいった武道館で迷子になったことも

さらにドキュメンタリーパートでは、専門学校の講師として授業をする風景や、就労移行事業所を訪れる姿が映し出される。

「学校で生徒に教える以前に、タイムカードを押し忘れたり、出席簿を覚えられなかったりして、これはまずいと思ったのが、病院で受診したきっかけなんです」

実際に診断が下りたのは5年前だが、幼少期からADHDと思われる症状を抱えていたため、これまでも仕事の面では苦労が多かったという。

「僕はもともとテレビの世界にいたんですけど、『熱闘甲子園』とプロ野球の中継の会議を間違えてずっと座っていたことがあります。

また、あるミュージシャンのドキュメンタリー番組を作ったときは、同じ質問を何度もしたり、コンサートの収録で行った武道館で迷子になってチームに迷惑をかけたりしたこともありました。

集中力はすごく発揮できるので、モノ作りにおいていい面もあるけれど、会話をしていても、話の腰を折る、話が飛ぶ、かと思えば何時間も話し続けたり、同じことを何度も言ったりなど、迷惑をかける場面も多いと思います」

自身のキャリアは障害とともにあったと語る
自身のキャリアは障害とともにあったと語る

そんな君塚監督が、テレビから映画の世界に足を踏み出したのは、25歳のとき。俳優の永瀬正敏が主演の映画『喪の仕事』で監督デビューした。その後も『ルビー・フルーツ』『月』といったメジャー配給の作品を手がけてきた。

「『喪の仕事』は僕の親友の死からインスパイアされた作品だったからか、終わった後に精神面が悪化して、パニック障害が起きたりして、相当ひどかったんです。霊能者に見てもらったり、滝行をやったりしたんですが、全然治らなかった」

30代は「躁」と「鬱」の状態を行き来していたが、最近、うつ状態からは脱したという。

「だから、仕事はできます。でも躁の状態の方が危険とは医者に言われますね。鬱のほうが辛いんですけど、躁状態だと心がアップしちゃうので、極端な話、ビルから飛び降りたりとかあるらしいんです、僕はそこまでじゃないですけど。ただ、双極性障害よりもADHDのほうが、生きづらさは強いと僕は感じてます、人に迷惑をかけるという意味で」

劇中のドキュメンタリーパート。右にいるのは、プロデューサーの森重晃氏
劇中のドキュメンタリーパート。右にいるのは、プロデューサーの森重晃氏