人々は「崇徳上皇の呪いが実現した」と戦慄
保元の乱をきっかけに、平清盛や源義朝といった有力武士が宮廷の政治に口を出すようになり、やがて対立する両武家は、武家の棟梁の座をかけた戦いに突き進んでいきました。この争いに決着をつけたのが「平治の乱」です。
平治の乱によって、源氏は中央から追い払われ、平家の天下が到来したわけですが、その後、どうなっていったか、皆さんはご存じでしょう。
平治の乱で敗れた源氏の御曹司である源頼朝が、平家を滅ぼし、後に幕府と呼ばれる軍事政権を打ち立てたのです。そして、その軍事政権を引き継いだ北条氏の北条義時は、なんと後鳥羽上皇を島流しにしたのです。
こうした世の移り変わりを目の当たりにした人々がどう思ったか、おわかりでしょうか?
そうです、人々は「崇徳上皇の呪いが実現した」と戦慄したのです。
事実、室町時代に書かれた『太平記』には、怨霊たちが、京の近郊に集まって世を乱す相談をしているというシーンが出てきますが、その魔王会議の首座にいるのは、金色の鳶に体を変えた崇徳上皇だ、となっていました。
『太平記』は、講談の源流と言われる書です。講談というのは、ごく簡単に言えば「読み聞かせ」です。日本という国は、こうしたものの発達によって、文字が読めなくても文学作品が楽しめた、世界でも稀な素晴らしい伝統を持つ国なのですが、だからこそ近代以前、崇徳上皇が日本最強の怨霊だということは、庶民も含めて日本人の常識だったのです。
ここで注目していただきたいのは、崇徳上皇が自らの人差し指を食いちぎって、その血を以て「この五部大乗経すべてを魔道に回向する」と言ったことが実現したと皆が思ったということです。
こういう言い方をすれば、この意味がおわかりいただけるでしょうか?
たとえば、西欧にはドラキュラという化け物がいます。吸血鬼ですね。しかしドラキュラがいかに強い力を持っていたとしても、自分の指を食いちぎって血を塗りつけて、「この聖書の力をすべて悪の方向に向ける」などと言うことができますか?
むしろドラキュラは、聖書を見ると恐れて逃げますよね。それが普通の化け物なのです。
ところが、日本だけは違います。なんと、あの仏教の膨大な正のパワーを、怨霊の一存で負にできる、ということなのです。
そして、その話は昔から隠すこともなく伝えられてきました。それゆえ『太平記』にも最強の怨霊として崇徳上皇が登場するわけです。
だからこそ、日本の神々への信仰の中でも、最大最強のものは、怨霊信仰なのです。
さて怨霊信仰というものが、日本文化にとっていかに強大なものかわかっていただけたでしょうか。
文/井沢元彦 サムネイル/Shutterstock