なぜ年上の後白河がいたのに、近衛が先に皇位を継いだのか
それでもそのまま近衛天皇が長生きしていれば問題はなかったのですが、近衛天皇は10代の若さで亡くなってしまいます。
近衛天皇が早逝したとき、崇徳上皇は自分の息子が天皇になれると思っていました。なぜなら系図の上では崇徳と近衛は兄弟なので、一度は弟に皇位を譲ったものの、本来の天皇家のルールから言えば、長男である崇徳の長男が跡を継ぐのが当然だったからです。
ところが、鳥羽上皇は、それまで一度も皇位を継いだことのなかった別の息子に皇位を継がせてしまったのです。これがのちに後白河と呼ばれる天皇ですが、実はこの後白河さんは、近衛さんよりも年上だったのです。
では、なぜ年上の後白河がいたのに、近衛が先に皇位を継いだのかというと、後白河はあの璋子が産んだ子だったからでした。
鳥羽上皇の心理を分析すると、こうなります。近衛は、自分の血を引いた子だから天皇にしたけれど、亡くなってしまった。でも、崇徳は叔父子だから、こいつの息子には絶対に跡を継がせたくない。しかし、近衛は子供を残さずに死んでしまった。
そこで、白河の子(崇徳)を産んだ璋子が産んだ子なので、それまで冷や飯を食っていた後白河だが、間違いなく自分の子なので跡を継がせた、というわけです。
問題は崇徳です。彼はどうやら自分が叔父子であるということを知らなかったようなのです。
では、ここで崇徳の気持ちになって考えてみましょう。
自分は父親に反抗しているわけではない。それどころか子供としてきちんと尽くしているのに、父である鳥羽上皇は、何かにつけ自分をいじめ抜く。一体どうしてこんなことになるのだろう。
そこで崇徳は、ちょうど鳥羽上皇が白河法皇が死ぬのを待っていたように、鳥羽上皇が死ぬのを待つことにしました。鳥羽上皇が亡くなれば、自分の息子が天皇になるチャンスが巡ってくると考えたからです。