自分に向けて漫画を描く露伴に、シンパシーを感じる

──高橋さんが露伴にシンパシーを感じる部分は?

例えば露伴は自分が漫画を描く理由を「読者のため」と言っていますが、僕はどう考えても読者のためだけで終わっている気がしないんです。「自分に向けて漫画を描いてるんじゃないかな、この人」と思うところがあって。

──劇中では、「美術館に飾るためでも専門家に鑑定してもらうためでもなく、読者に手に取って読んでもらうためだけに描いている」と、漫画家としての矜持が語られます。

もちろん大前提として読者はいるけれど、もしも読者から反応が返ってこなかった場合、その先にいる自分にボールを投げているような漫画家なのかなと思ったりもして。

それは僕がお芝居をしているときもそう。見てくれる人が仮にいなくなったときに、「じゃあどこに向けて芝居するの?」と言ったら、自分が納得できるかできないかだと思うんです。結局は自分に向けて芝居をしているようなものなんですね。

高橋一生「ささいなことで幸せを感じるようになった」…“幸福になる呪い”がテーマの映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』で露伴を演じて気づいたこと_2

──究極、見る人がいなくなっても演じるということですか?

はい。舞台に立っているとその感覚が際立ってくるんです。コロナ禍に無観客で舞台を収録したことがあって、そのときのお客さんは誰なのかと定義すると、結局自分でした。いなくなってしまった相手に対して何ができるかと言ったら、やっぱり自分のためにやり通すことだった。

それが2020年に起きたことだったので、同じタイミングで露伴役に出会えたことは、自分の中でものすごくインパクトのある出来事でした。