巨人で2年連続30セーブを挙げた初めての投手に

――クローザーで打たれた日はどんな心境になるのでしょうか。

西村 その日はだいぶ引きずります。でも、よく言われていたのが、「次の日には切り替えてこい」ということ。自分にできるのは、それだけでしたね。

――頭で「切り替えが大事」とわかっていても、どうしても失敗を引きずる人間も多いと思います。西村さんはどうやって切り替えていたのでしょうか。

西村 打たれたとしても、自分がどうやって試合に臨めているかが大事だと思うんです。しっかりと準備ができていたなら、打たれても切り替えられるはずです。

――聞きづらいことですが、当時のメディアに「西村はメンタルが弱い」と報じられることもありました。本人はどう感じていたのでしょうか?

西村 うーん、自分では別にメンタルが強いとは思っていないので。よく自滅していましたしね。強い人が「弱い」と書かれたら気にしたと思うんですけど、自分は強いと思っていなかったので気にしませんでした。

2013年、巨人のセットアッパーを務めていたスコット・マシソン、山口鉄也、そして西村健太朗の名前を組み合わせ、3人には「スコット鉄太朗」との愛称がつけられた
2013年、巨人のセットアッパーを務めていたスコット・マシソン、山口鉄也、そして西村健太朗の名前を組み合わせ、3人には「スコット鉄太朗」との愛称がつけられた
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――西村さんは期待され、殻を破れなかった時期が長かったからこそ、やり玉に挙がる機会も多かったのだろうと想像します。それも人気球団ならではだと思うのですが、いかがですか。

西村 でも、僕の場合は打たれても我慢して使ってもらっていましたから。チャンスをもらっている分、「ちゃんと抑えないと」とずっと思っていました。

――西村さんは2012年に32セーブを挙げ、2013年に42セーブで最多セーブのタイトルを受賞しました。巨人で2年連続30セーブを挙げた投手は初めてでした。

西村 昔の巨人は「先発完投」の風潮がありましたし、なかなか投手の分業が確立されていなかったと思うんです。早めに確立されていれば、僕が初めてということはなかったでしょう。

――西村さんが巨人に入団した頃には、先発完投至上主義は薄れていたのでしょうか。

西村 あまりわからないですが、阪神でJFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3投手による継投リレー/2005~2008年)が出てきてから、どのチームも役割分担が進んだように感じています。

――クローザー時代に強く印象に残る出来事はありましたか?

西村 2013年のリーグ優勝が決まった日(9月22日・広島戦)の登板ですね。ルーキーだった菅野(智之/現オリオールズ)が8回まで投げて、9回はマシソンと山口さんと「1人1殺」で出ました。また前の2人が簡単に抑えるものですから(笑)、「1点差だし、この流れで打たれたらヤバいな」とプレッシャーを感じました。抑えられた時は本当にうれしかったですし、歓声も普段とは違うように感じられましたね。