「スコット鉄太朗」の愛称も
――西村さんが巨人でクローザーを務めたのはプロ9年目、2012年からの2年間でした。任された時はどんな心情だったのですか?
西村 プロでちゃんと成績を残せたのがその前年くらいだったので、「山口鉄也さんもいるのに、自分でいいのかな。務まるのかな」と思っていました。
――前年に20セーブを挙げた久保裕也さんが故障したため、西村さんがクローザーに任命されたそうですね。
西村 はい。ただ、当時の首脳陣からはっきり言われた記憶はないんです。この流れからすると、自分が投げるんだなと察しました。
――西村さんと言えば、控え目な性格という印象があります。
西村 グイグイと前に出るタイプではないですし、目立ちたがり屋ではないですね。

――「巨人の9回」を任されるのは、相当な重圧がかかるのでしょうか。
西村 そこはあまり気にせずにやっていました。それ以上に、7回、8回に(スコット・)マシソンや山口さんがいてくれたのが大きかったです。
――当時は西村さんを入れた3人の勝ちパターンは「スコット鉄太朗」と呼ばれました。セットアッパーにいい投手がいると違うものですか?
西村 僕の前のふたりが完全に流れを断ち切ってくれるので、投げやすさはありました。相手からすると、ふたりのように何年も抑えてきた実績のある投手が出てきたら「嫌だな」と感じたはずです。ふたりとも普通に打者3人で抑えてしまいますから。
――クローザー転向1年目は一時、マシソンとの配置転換がありましたが、マシソンの故障離脱後は西村さんが完全にクローザーに定着しました。紆余曲折ありましたが、自信を深めたきっかけはあったのでしょうか。
西村 僕はクローザーと言えば、「大魔神」と呼ばれた佐々木主浩さん(元マリナーズほか)のイメージを持っていました。圧倒的な力で完全に抑え込むような。でも、僕は佐々木さんのように三振をたくさん取れるタイプではありません。
そんな時に、久保さんからアドバイスをもらったんです。「抑えは3点リードで登板して2点取られても、勝てばいいんだ」と。この言葉をいただいて、気持ちがだいぶ楽になりました。
――クローザーは勝てば監督と握手できますし、やりがいがあると語る経験者も多いですね。
西村 勝って終われるのはいいですよね。勝ち投手にウイニングボールを渡せるのもうれしいですし、やりがいはありました。
――巨人のクローザーともなると、大勢の報道陣に囲まれるのでは?
西村 いえ、クローザーって「抑えて当たり前」というところもあるので、勝って取材を受けることはそんなになくて。むしろ負けた時のほうが取材はくるんですよ。
――選手からすると、きついですね。
西村 そういうものだと思っていました。勝ちパターンの投手は、打たれた時に「どうだった?」と聞かれることはわかっていましたから。