本当の自分の歌と出会えた山口百恵
山口百恵の歌には、どれも本当の彼女がいない気がしたのだ。山口百恵と同じ横須賀育ちである、阿木燿子の存在も大きかった。
百恵自身が、デビューから徐々に成長していくにしたがって、男性の作詞家が描く少女心理の世界に、百恵は没入することが、だんだん困難になってきたのだろう。そこへ阿木さんの登場である。(川瀬泰雄)
阿木耀子の書く無垢な少女のイメージは、生きて呼吸している山口百恵自身と見事に重なるものだった。山口百恵は本当の自分の歌と出会うことになったのだ。
こうして13枚目のシングル『横須賀ストーリー』(1976年6月)はヒットチャートのトップを駆け上がり、アイドルとしての人気を拡大したにとどまらず、山口百恵をカリスマ的なスターにまで押し上げていったのである。

その後、『イミテイション・ゴールド』『プレイバックPart2』『しなやかに歌って』『謝肉祭』『ロックンロール・ウィドウ』『さよならの向こう側』など、宇崎と阿木のコンビ作品は、山口百恵の歌手人生にとって欠かせないものになった。
後年、“三浦百恵”となった伝説の歌手は、当時をこう振り返った。
阿木さんの詩を宇崎さんのメロディにのせて歌う時だけが、本気になれた。歌うというよりも、もっと私自身に近いところで歌が呼吸していた。
思えば阿木さんの詩を歌い始めた頃から、実生活での私の恋も始まったのだけれども、阿木さんの詩の中に書かれた言葉が、私に恋という感情のさまざまな波模様を教えてくれたようにも思う。
恋をする中で感じた思いを、詩の中に言葉として見つけだしていた。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考/引用
阿木耀子著『プレイバックPartⅢ』(新潮文庫)
川瀬泰雄著『プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡』(学研教育出版)