ストーンズが繋いだ細野晴臣と忌野清志郎
話を戻そう。1990年のストーンズ来日時、代官山にある焼肉レストラン「サージェントペッパーズ」という名の店で、細野とビルらは会食することになった。
かつて細野のパーソナル・マネージャーで、YMOも手がけてきた日笠雅水が、そこに同席したときのことをSNSでこう明かしていた。
「サージェントペッパーズ」は細野さんが店名を慮ることなく予約、当日現場で「よりによってこんな名前のお店に!ヤバイ!」って言ってるところにビルがやって来て、ニヒルな感じの笑みを浮かべ、「君たちがロンドンに来た時には僕のスティッキーフィンガーズって店に招待するよ」と言ったのでありました。
この夕食のお返しに、細野はビルからローリング・ストーンズ来日公演に招待されて、VIPとして開演前の楽屋を訪ねることになった。
しかし、ローリング・ストーンズの音楽に細野がそんなに詳しくないので、誰かに同行してもらいたいという話になって、日笠が強く推薦したのが忌野清志郎だった。
この時点での、二人は意外にもほとんど面識がなかったという。
日笠は忌野清志郎とすでに親しい間柄だったし、日頃から両者の信頼を得ていたので、3人で一緒にビルの楽屋を訪ねることになった。
ライターの岡本貴之とフォトグラファーのゆうばひかりによって企画された単行本「I LIKE YOU 忌野清志郎」(河出書房新社)のなかで、日笠はこのように述べていた。
実は私は、清志郎さんと細野さんには、いつか二人で音楽をやってほしいとひそかに考えていたので、これは良いきっかけになるな、と。結局、私も同行することになって、3人で東京ドームに行きました。清志郎さんと細野さんが話をしたのはその時が初めてです。
なお、その時の楽屋での模様については2005年8月15日にオンエアされたNHKラジオの特別番組『ダブルDJショー 2005』で、二人が詳細を語っていた。
それによれば、終演後に3人で六本木で会食した時に話題に出たのが、三宅伸治とともに、坂本冬美をヴォーカルに迎えて始めようとしていたSMIの話だった。
東芝EMIの創立30周年記念イベント「ロックの生まれた日」で競演することになった3人のユニットは、名前の頭文字を取ってSMI(坂本+三宅+忌野)と名付けられていた。
これに惹かれた細野は、リハーサルのスタジオにも顔を出して、アイデアを出したあたりから入り込んでいったという。
「ロックの生まれた日」は、日比谷野外音楽堂と大阪城野外音楽堂で開催されたが、SMIは『パープル・ヘイズ音頭』やビートルズのカヴァー『AND I LOVE HER』、モンキーズのカヴァー『DAY DREAM BELIEVER』、歌謡曲の『高校3年生』など7曲を披露した。
この試みが好評だったことから、音源のレコーディングを作品化する企画が持ち上がると、忌野清志郎は細野をプロデューサー兼メンバーとして迎え入れる。
こうして1991年になってから、あらためてユニット「HIS」が誕生するのであった。
![細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美によるユニット、HISによるアルバム
『日本の人 [SHM-CD]』(2016年12月14日発売、Universal Music)。オリジナルの発売は1991年7月19日](https://shuon.ismcdn.jp/mwimgs/f/9/500mw/img_f94e01cb49c8fb22e0600aa97fa16511119260.png)
『日本の人 [SHM-CD]』(2016年12月14日発売、Universal Music)。オリジナルの発売は1991年7月19日
文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/『日本の人 [SHM-CD]』(2016年12月14日発売、Universal Music)