自身を振り返り「もうほんと、生意気だった」
「1個でよかった腕時計は10個になるし、当時の渡辺プロダクション、今のワタナベエンターテインメントにスカウトもされたんです。
『渡辺プロってどんなところですか?』って聞いたらば、私が好きなタレントが全員所属していたんですよ。
当時だとクレイジー・キャッツ、ドリフターズね。アイドルならキャンディーズとか天地真理、沢田研二もいたし、アグネス・チャンもいたんです。おおー、アグネスか!って。
で、なんとなく『アグネス・チャンに会えますか?』って聞いたの。そうしたら『会わせます』って。じゃあ入ってもいいかな、って。
当時はアルバイト感覚ですよ。でもどうせタレントなんて自分に続かないだろうから、2次募集している大学にでも入ろうと。親はどこでもいいから大学に入って公務員にでもなってくれたら御の字だっていってたんで、流れにまかせて適当にやればいいやなんて思ってました。
そうしたら、グループを組まされて、やれレッスンだ、歌の練習だなんだって始まっちゃって。自分でやりたいわけじゃないから、ぜーんぶ、適当にやってました。
なのにね。事務所が『今度はレコードを出す』っていい出して。最初のころは売れなかったんですよ。
でも3枚目に出した『ハンダースの思い出の渚』っていうシングルがね、これがスマッシュヒットしたんですよ。で、みんなに知られるようになっちゃってね。
師匠や先輩がいるわけじゃなかったからね。もうほんと、生意気だったと思います。
街で『サインしてください』なんて言われても、『うるせえな』って無視したり。
“お前ら芸人なんてね、舌先だけで金儲けしやがって、 楽でいいな”とか言われたりもしてね。それがよかったんだか、悪かったんだか…。
で、それから38年経って、56歳のときですかね。
風呂で倒れて。で、今日に至るんですけども。私もこんな風になると思ってませんでしたね」
2013年2月、脳内出血を起こし自宅の浴室で倒れた。
病院で右側頭部血腫の除去手術を受け、なんとか死の淵からは這い上がったものの、今だに左半身には麻痺が残っている。
「先日、中山美穂さんがお亡くなりになりましたね。お風呂場で、54歳と聞きました。私もお風呂場で、56歳でした。
状況はよく似てますけれども、私はたまたま、まだ息があるところを発見されて、緊急搬送された。命は助かったけども、障害者一級になったと。
障がい者になったことを嘆くべきなのか、それでも生きているって喜ぶべきなのか…。出かけることはままならないけれども、日々、偉い人たちの言葉を勉強していますね」
不自由な身体になりつつも、日々学ぶことは続けたいという桜さん。
後編では、桜さんの話芸の真骨頂である怪談の真相、そして現在の境地をうかがった。
【プロフィール】
桜金造(さくら・きんぞう)1956年、広島県生まれ。'75年に『ぎんざNOW!』でデビュー後、コメディーグループ「ザ・ハンダース」を結成。その後、アゴ勇さんとのコンビ「アゴ&キンゾー」でも活動。俳優としても活躍し、伊丹十三監督の映画『タンポポ』『マルサの女』などでも存在感を発揮。芸名の名付け親は故・松田優作さん。
取材・文/木原みぎわ