何年も隔てて、別のメディアも駆使しながら構築していく
きさらぎ駅というネット怪談は、本の一つの章に収まるような、始まりと終わりのある物語としてインターネット上に現れ、話題になったのではない。
むしろこの怪談は、何でもない投稿からいつの間にか始まっており(「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」が始まりというのも後から判明したことでしかない)、はすみとオカルト板の住人たちとの思わぬ共同作業によって恐怖と不安と不思議──「釣り」、すなわち嘘をついて住人を騙しているのではないかという疑念やからかいも含めて──が構築されていくプロセスからなる、出来事の連鎖だったのである。
きさらぎ駅が共同的に構築されたものであるということは、それが未完成のまま開かれていることも意味する。誰でも新しく、自発的であれ強制的であれ、この怪談に参加することができるからだ。
分かりやすいのは、2011年前半にネット上でふたたびきさらぎ駅が話題になったときの、いくつかの出来事である。
2011年6月30日、きさらぎ駅の投稿をまとめた怪談系ブログのコメント欄に、この世界に戻ってきたという、はすみの書き込みが投稿された。私たちには、この投稿が初出時の女性なのかどうかを厳密に判断するすべはない(※2)。いずれにしてもきさらぎ駅は7年の時を超え、ふたたび動き出した。
同年8月には、2004年にはなかったSNSのTwitter(※3)において、きさらぎ駅に着いてしまったという報告が写真付きで投稿された。それまで文字だけだったこの怪談は、事実を客観的に写し取る(ものだと受け取られることが多い)画像により、さらに異なる実在感(リアリティ)を生み出した。
さすがに2020年代にもなると、この駅に関する新たな話題はほとんど報告されなくなったが、駅が取り壊されたという報告でもないかぎりは、いつまでも「きさらぎ駅に行ってしまった」という投稿は可能なままだろう。
このように、きさらぎ駅は、中心となる人物(当事者のはすみ)による2ちゃんねるへの投稿だけでは、今も知られているような怪談として成立することはなかった。むしろ多くの人々が同時的に、あるいは何年も隔てて、さらに別のメディアも駆使しながら構築していったのがきさらぎ駅なのである。
※1 「板」や「スレッド」については第2章参照。大まかに言うと、板ごとに話題のジャンが分かれており、さらに板のなかで、特定のトピックを扱ったものがスレッドである。
※2 おそらく別人だろう。二〇〇四年の時点で、オカルト板の投稿者はすみは、パスワードを入力して文字列が生成される「トリップ」機能を使い、他人のなりすましを避けていた(トリップによって本人であることを証明していた)。そのため、帰ってきたとすれば、自分であることが証明できるトリップ機能のあるオカルト板のほうに書き込むのが自然である。
※3 Twitter は二〇二三年七月、「X」に改名した。本書では、この時期以降の出来事には「X」を用いるが、それ以前には「Twitter」を用いる。
#2 ネット怪談ブームを牽引した「都市伝説」と「学校の怪談」が後世に与えた意外な影響とは…実体験の伝承が一般知識となるまで に続く
文/廣田龍平 写真/Shutterstock