敗戦後にミツロ最強伝説は始まった

前回の敗戦は10年前。まだ無冠で無名だった大学2年のリーグ戦で、1R42秒KO負けしている(相手は現プロ日本ミドル級4位の酒井幹生選手)。ミツロはその敗戦をきっかけに一層猛練習に励み、その年の国体や全日本選手権を制し、ブレイクした。

亀田会長は敗戦についてこう話す。

「まだまだチャンスはある。今の状態で下位とはいえ世界ランカーと最終ラウンドまでやれるんやから。ただ逆に今は、もっと文句もほしい。いろいろもっと文句言うてきたらええねん。アンチがいるってことは、注目されてるいうこと。アンチは亀田の栄養やから」

しかしこれはミツロの話である。そばでミツロが、目線を落としたまま苦笑している。

「僕は彼がボクシングやっているうちに、稼げるようにしたらなあかん。辞めたあとのほうが長いんやから」(亀田会長)

亀田興毅会長
亀田興毅会長

3150ファイトクラブでプロデビュー後、ミツロは住居費など亀田プロモーションのサポートを受けながら選手を続けている。経済的には学生時代と比べものにならないほど楽になった。

「仕送りができて、お母さんを助けることができるようになったのは、プロで叶えたかった夢のひとつ。お母さんの存在はずっとモチベーションになっています」