支援戦闘機開発をめぐる日本航空産業つぶし

ただし、もちろんこうした「属国扱い」は経済問題に限ってみてもこの繊維交渉に限られるわけではなく、実のところ「防衛産業」に対してもあった。1987~88年のF1支援戦闘機後継機(FSX)の開発選定問題は「防衛産業」自体に否定的な日本の平和勢力が大きな関心を払わなかったが、日本の対米自立にとって実は非常に大きな問題であった。

軍需品の自主開発とはその整備・保守を自前で可能とするもので、それ自体が「対米自立」の決定的な技術条件となるからである。

そして、そのため、当時まだ若干31~32歳の「かけ出し」であった私も京都から東京の「日本航空宇宙工業会」の本部にまで乗り込み、そこでのヒアリングを経て論文まで書いたことがある。

「日本航空工業の技術発展とFSX摩擦」という論文で、そこではエンジン技術を除いてかなりの分野で日本技術がアメリカを上回るようになってきているにもかかわらず、まずは自主開発を封じ込められ、次には「日本主導の新規共同開発」をも封じ込められ、最後にはそもそも「新規共同開発」自体も封じ込められてF16Cという既存米機の改良型の開発に止められてしまっている。

アメリカによる日本の“属国扱い”は1950年代から続いている…つぶされてきた繊維産業と航空業の歴史_2

そして、この過程で当時のイージス艦より優れたアクティブ・レーダーや追尾警戒用の後方レーダー、全体システムを統合する超小型高性能コンピュータや統合コックピット、特殊な運動性能技術や電波吸収材、鉄より強くアルミより軽い複合材などの技術が逆にアメリカに流出することとなっている。これらのため、日本の全体設計技術が獲得されなくなったばかりか、日本の最先端技術をアメリカが「共同開発」の名目で獲得することができたのである。