明菜と聖子の違い

それを踏まえて、中森明菜のすごさをこう分析する。

「明菜の場合、《自分で表現したい、自分の“中森明菜”を作りたい》という子だった。

彼女は歌唱力はもちろん、表現力が素晴らしいんですよね。そのうえ演技力もある。

明菜はアン・ルイスや山口百恵が好きだったんだよね。彼女たちみたいに、独自の世界観を出していきたかったんだと思う。

マツコ(・デラックス)やミッツ(・マングローブ)は、俺が手掛けた『十戒(1984)』から、明菜の表現力が広がったなんて言ってくれましたが、俺としては、明菜のもともとの素養だと思っています」

三浦さん
三浦さん

いっぽう、中森明菜と対に語られるのが松田聖子(62)だ。三浦さんは、彼女のデビュー曲「裸足の季節」の振付も手掛けた。

「聖子はね、最初から完全に自己プロデュースができている子でした。ひとつ言えば、そこからすべて作り上げることができたんです」

「裸足の季節」は当時、資生堂の「エクボ」という洗顔料のCMソングでもあった。

「だから、歌詞の中の“エクボ”という言葉を目立たせる必要があった。

振付のレッスン時間がほとんど取れなくて、聖子にはエクボを指差すという仕草をアドバイスしたくらいなんですよ。

聖子は“はい”と言って、それをもとにアイドルとして完璧な振付を自分で作り上げてた。

しかも彼女は、みんなが求める“松田聖子”を作り上げることができる。自分の考える“中森明菜”を追求していた明菜とは、そこが違ったんでしょうね」

中森明菜はもはや伝説の歌手となってしまったが、「花の82年組」と呼ばれたアイドルであった。そんな彼女の「同級生」である2人のアイドルについて、三浦さんは現在の交友ぶりも含めてこう語る。

「堀ちえみ(57)と早見優(58)。この2人も対照的でしたね。

ちえみに対しては、しょっちゅう怒っていました(笑)。恥ずかしいのか、レッスン中に必ずふざけるんですよ。

で、俺が“もう今日は帰れ!”とか叱ると、必ず泣くんです。でも次の回にはしっかり覚えて来る。その繰り返しでした。

この前、ちえみのワンマンライブがあって、公演後にちえみに会って“よかったぞ、がんばったな”と声をかけたら“三浦先生に初めて褒められた〜”と感激していましたね。そんなことはないはずなんだけど(笑)」

堀ちえみ 『週刊明星』昭和60年9月12日号より 撮影/青柳宏伸
堀ちえみ 『週刊明星』昭和60年9月12日号より 撮影/青柳宏伸

早見優に関しては、

「優はアメリカ育ちだからか、最初からタメ口だったし、“やる気ないなら今日はレッスン終わりだ!”なんて言ったなら、“はーい”って本当に帰ってしまうタイプでした。

でも最近、あいつ(ダンスエクササイズの)ZUMBAの講師をやっているでしょう。

俺のところに“先生、レッスンに取り入れたいんで、かっこいい振付をアドバイスしてください”なんて連絡してくるんです。

“優が敬語で律儀に頼み事ができるようになるなんて”って思いますね(笑)」

と話してくれた

早見優 『週刊明星』昭和58年9月8日号 撮影/横谷弘文
早見優 『週刊明星』昭和58年9月8日号 撮影/横谷弘文
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三浦さんの、厳しさの根底にある温かさを知る“教え子”たちは、大人になった今でも彼に絶大な信頼を置いている。

そんな三浦さんが、真のエンターテイナーだと考えるアイドルとは、いったい誰なのか。

後編では、初めて会ったときの衝撃から、その人物のアイドルらしからぬ日々の努力、そして三浦さんだからこそ理解する所属事務所との葛藤に迫る。

三浦亨(みうら・とおる)●1946年、宮城県生まれ。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒。’70年代から多数の歌手の振付や、『レッツゴーヤング』(NHK)、『夕やけニャンニャン』『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)といった音楽番組やバラエティ番組のダンス指導を手掛ける。「カーニバル三浦」名義でも活動。近年では「YOSAKOIソーラン祭り」や故郷・石巻市の町おこしイベントにも関わっている。

取材・文/木原みぎわ