父がギブアップした瞬間

2005年、藤野さんが帰省した際、迎える母親が玄関ドアを開けるのに時間がかかっていた。

「両親が動けるうちは、姉になにかあっても自分たちで対処していたんでしょうけど、足腰が弱くなって動きづらくなったから、鍵(南京錠)をかけたんだと思います。ある日、僕が中に入ろうとしても、なかなか開かなくて、中に入って母が南京錠をかけているのを目にした。

『これはまずいな』って思いました。僕が帰りがけに(南京錠を)外しても、母がまたつける。イタチごっこですよね」

これまでの出来事を淡々と話した
これまでの出来事を淡々と話した

その後、母が認知症と思われる症状を発症した。

姉は1983年の発症以来、一度も病院に行っておらず、自分が病気であるとは思っていない。母も同じ状況だったという。

「母も病院で受診はしていないので、正確な病名はわからないですけど、2008年くらいからひどくなってきました。『侵入者が来てる』と言って、毎日決まった時間に家の見張りをするようになったんです」

『どうすればよかったか?』では母が深夜、独り言を言いながら姉の部屋に入っていき、それが姉を刺激してしまうシーンが収められている。

「父と母の2人で姉を見ることはできたけれど、父1人で母と姉を見ることはできない。そこで父はギブアップをしたんですが、そのギブアップした状況が伝わる映像なので、このシーンは残しました。

どこまで出していいかは悩むところでもあったんです。なんでもないところだけ出しても伝わらない、姉の統合失調症の反応が起きているところは使わなくちゃいけない、けど、そういう部分だけにならないよう、必要最小限にしました」

素材をセレクトすると、当初5時間分にもおよんだ
素材をセレクトすると、当初5時間分にもおよんだ

父の承諾もあり、姉は2008年に入院し、3ヶ月後に退院する。入院前と比較すると、明らかに様子が異なっているのが映像でわかる。

「いろいろな薬も試して、入院してわりとすぐに姉とは会話もできるようになりました。これまで撮った映像をまとめても、あまりに救いのない話にしかならなそうだなと思っていました。それが、治療してよくなっていけば、意味のある映像を作れる可能性があるなとは思うようになりました。

母が2011年に亡くなって、父1人で姉の看護は無理だろうと思い、僕も実家に戻りました。姉が退院してからは、容態も安定し、カメラをまわす時間も減っていたんです。が、その後、姉の肺がんが見つかってしまい、あまり時間がないなとまたまわし始めた」

こう聞くとつらい映像ばかりに思えるが、その頃の姉弟で札幌に買い物に行ったり、花火大会に行ったりする穏やかな姿も映像で確認できる。

花火を見る姉と父 (C)2024動画工房ぞうしま
花火を見る姉と父 (C)2024動画工房ぞうしま