北海道の蕎麦アレルギー事故も、広がるアレルギー対策
調布市での事故以前は、学校現場ではどのようなアレルギー対策が取られていたのか。
「平成初期からアレルギー対策は始まっていたんですが、自治体で統一した対応ができていなかったんです。各学校に栄養士が1人配置されていましたが、その栄養士の力量や情報量の差から、アレルギー対策を一切していなかったり、逆に過剰にしすぎていたり、学校によって給食のアレルギー対策がまばらな上、あまり問題が表面化することはなかったんです」
調布の事故の前にも、北海道で蕎麦アレルギーを持った小学男児が、誤って学校給食の蕎麦を食べてしまったことから、下校中に窒息して亡くなるという痛ましい事故が起こっている。
「当時からアレルギーの子どものために、別メニューを作ったり、除去すべき食材を除くなどの配慮をしている学校給食もありましたが、あくまで保護者と教員間の個々のやり取りで、具体的な方法が決められているわけではありませんでした。
昭和50~60年代ってアレルギーに関するエビデンスもしっかりしていなくて、アトピー性皮膚炎で一つにまとめられていたりもしていました。その後、だんだんとアレルギーの原理が判明してきて、食物アレルギーに対しても解明が進んでいき、診断も細かくなっていきました。
その中で調布の事故があって、文科省が全国に呼び掛けて自治体が統一的な規定を作るなど一気に変わっていきました。医師が生活隔離指導表を書くことによって、特定の食物を除去した除去食という考え方もできて、給食だけではなく、学校生活全般の中でアレルギーの対策が広がっていきました。遠足のお菓子交換の禁止もその一部なんだと思います」
遠足のおやつ交換が禁止された背景には、痛ましい事故を再び繰り返さないという学校側の配慮が隠されていたのだった。
取材・文/木下未希 集英社オンライン編集部