ダウンタウンの笑いは本当に単なる「いじめの笑い」なのか?

その後、2019年には芸人の闇営業騒動が起こった。複数の芸人が事務所を通さずに反社会的勢力の会合に参加して金銭を受け取っていたことが報じられ、宮迫博之らが事務所を解雇された。 

そして、2023年には松本人志の性加害疑惑が持ち上がった。当初は事務所も強気な対応をしていたが、その後は一転して被害を訴えている女性がいる事実を重く受け止め、コンプライアンスの指導・教育や事実確認を進めていくことを発表した。 

「芸人の女遊びぐらい大目に見ろよ」というのがかつての常識だったが、今ではそれは通用しなくなっている。 

ここでは「お笑いとコンプラ」の問題について考えることにする。あらかじめ断っておくと、こういった問題に関しては感情的な対立が生まれやすいことに注意しなければいけない。 

「女性への容姿イジリなんて今の時代に許されるわけがない。言語道断である」といった主張をする人がいる一方で、「最近はコンプラ、コンプラとうるさくて、過激な企画ができないのでテレビが全然面白くない。昔のような番組がもっと見たい」というような、正反対の立場から強い主張をする人もいる。 

個人的には、どちらの主張にも違和感を感じる部分がある。この問題の正しい答えはこれだ、などと考えて、一方的に断罪を求めるような風潮はやりすぎではないかと思う。 

一方、大雑把にひとくくりにして「昔は良かった」などと言うのも、問題を単純化しすぎではないか。社会的な問題に関して個人としてつらい思いをした経験がある人もいるからだ。 
そういった「0か100か」といった極端な主張は、ほとんどの場合、お笑いそのものの価値を過度に軽く見積もっていることから生まれる。 

たとえば、松本人志の性加害疑惑が出たときに「ダウンタウンのお笑いはいじめの笑いだから、私はもともと嫌いだった」というようなことをSNSで書く人が散見された。そういうことを言いたくなる気持ちはわからなくもないが、芸人の個人的な問題と、笑いの本質は別のところにある。 

松本人志 写真/共同通信社
松本人志 写真/共同通信社

仮に、ダウンタウンの笑いが本当に単なる「いじめの笑い」であり、許されないほど悪質なものなのだとしたら、ここまで長年にわたって多くの人に愛されることはなかったのではないか。つまり、ここには明らかに言い過ぎている部分がある。言い過ぎだということをきちんと踏まえておかないと、議論がまともに進まない。 

そもそも何かを見て笑えるか笑えないかというのは個人的な感覚に依存する部分が大きいので、お笑いに関しては極端な感情論が横行しやすい。だからこそ、つとめて冷静に考える必要がある。