M-1グランプリと言語能力

漫才の頂点を決める「M-1グランプリ」。テレビ離れが進むなかでも2023年大会では関西地区で28%、関東地区で17.2%という高視聴率を叩き出した大人気番組だ※1。

優勝コンビは一夜にしてスターダムを駆け上がる。国民的イベントと言ってもいいだろう。

堀江貴文が「M-1グランプリの高視聴率は日本人の言語能力の低さを反映している」と断言するワケ_1
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でも前々から思っていたが、ぶっちゃけ私は、M-1はつまらないと感じている。観客が爆笑していても私はまったく笑えないのだ。私がひねくれているのだろうか。そうではないと思う。漫才の基本構造に原因があるのだ。

漫才の基本構造は「心地よい裏切り」である。ボケが突飛な発言をし、観客の予想を裏切る。あまりにボケがぶっ飛んでいると理解が追いつかないため、突飛とはいっても理解できる範囲にとどめておく。

ツッコミの役割は、その突飛な発言を訂正することだ。そして実はこのとき「ツッコんだ=さっきの発言はボケだった=ここがおもしろいですよ」と観客に示している。笑うポイントをそれとなく教えているわけだ。

M-1で優勝する漫才師はできるだけ観客に伝わりやすい言葉を使い、観客の予想を巧妙に裏切るよう設計されたネタをつくっている。

でもそうしたテクニカルな構造であるがゆえに、言語能力の高い人には漫才師の狙いがわかってしまう。つまり、セリフの続きやオチのパターンがある程度予測できてしまう。漫才の基本構造は、心地よい裏切りだ。ということは先の展開が読める人にとっては裏切り自体が存在しなくなるのだ。だから漫才がおもしろく感じられないのである。