4大陸を制覇したクイーンを阻んだモラル

1981年に南米でのツアーを成功させたクイーン。これでユーラシア、北アメリカ、南アメリカ、オセアニアの4大陸でツアーをしたことになり、残す大陸は南極を除くとアフリカだけとなった。

「アフリカでもツアーをしたい」と、メンバーが思うのは当然のことだろう。

そんな1984年、クイーンのもとに南アフリカ共和国のリゾート地、サンシティにあるホールから「コンサートをしてほしい」という依頼が入る。

南アフリカのサンシティ
南アフリカのサンシティ
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しかし、南アフリカでライブをするのは、南米でツアーをする以上に難しかった。なぜなら、クイーンの入っていたイギリスのミュージシャン組合が、南アフリカでの公演を禁止していたからだ。

理由は、南アフリカの人種隔離政策、アパルトヘイトに対する反発の意思によるものだった。

クイーンのメンバーも、当然アパルトヘイトには反対だった。

しかし、だからといって南アフリカで公演しないことが本当に正解なのか、自分たちの音楽を聴きたい人がいるのに、それが政治的な理由で妨げられていいのだろうか、とも思った。

アパルトヘイト時代のケープタウンのベンチ
アパルトヘイト時代のケープタウンのベンチ

ブライアン・メイによれば、メンバーでこの問題に対して真摯に向き合い、慎重に話し合ったという。

「南アフリカでコンサートすること自体のモラルについて、僕らも充分考えたあげく、やる価値ありという結論に達した。僕らのバンドは決して政治的じゃない。僕らの音楽を聴きに来てくれる人たちがいれば、クイーンはどこででもやる」

1984年7月、クイーンが南アフリカで公演を行うことを発表すると、反アパルトヘイト団体をはじめ、様々な団体やメディアが彼らに抗議した。

南アフリカへの文化的ボイコットが世界的に行われる中、「クイーンは組合の規則を破ってまで金儲けをしようとしている」と見られたのだ。