3.11が生んだ「東京チカラめし」

「東京チカラめし」(以下、チカラめし)を運営するSANKO MARKETING FOODSは、居酒屋「金の蔵」などでも知られている。もともと居酒屋に軸足を置く企業が、「牛丼屋」を始めたのはなぜか。

それには、東日本大震災の経験が関わっているという。

「チカラめしが誕生したのは、2011年6月。その3ヶ月前に東日本大震災があり、山手線内に集中出店していた『金の蔵』の店舗では、停電などが起こり、夜の営業が難しくなった。居酒屋業態の脆弱さを思い知ったんです。そこで、居酒屋業態の一本足打法ではなく、日常食の業態を模索し始めました」(長澤氏、以下同)

ではなぜ、牛丼だったのか。

「もともと弊社の祖業は、J R神田駅のガード下で始めた『三光亭』という牛丼屋でした。祖業に帰るという意味でも、牛丼を選んだのです」

こうして、東日本大震災と祖業の「三光亭」が、「チカラめし」を生み出した。

「チカラめし」の名物「元祖 焼き牛丼」
「チカラめし」の名物「元祖 焼き牛丼」
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「チカラめし」が急成長した2つの要因

とはいえ、居酒屋業態がメインになっていた同社において、牛丼屋という業態はまったくの門外漢。にも関わらず、「チカラめし」は、創業からわずか2年で133店舗まで店舗を拡大することに成功する。ここまで急成長した理由はなにか。

長澤氏によれば、それは以下の2つの要因に分類できるという。

①「焼き牛丼」という商品の新しさ
②「金の蔵」マネーが支えた、圧倒的な低価格

それぞれ、見ていきたい。

まず、①について。「チカラめし」の代名詞ともいえる「焼き牛丼」が、大きな発明だったと長澤氏は振り返る。

「当初から、牛肉と米を使った『焼肉丼』のようなメニューを作ろうとはしていました。ただ、それではインパクトが薄く、限られたお客様しか来ないと思ったのです。そこで、『焼肉』で勝負せず、すでに多くのお客様がいる『牛丼』と命名することで、牛丼マーケットに進出しました。弊社の名前は、『SANKO MARKETING FOODS』ですが、まさにマーケティングを行ったのです」

「焼肉丼」ではなく、「焼き牛丼」という見せ方。このマーケティング戦略がヒットを呼び込む。

SANKO MARKETING FOODS代表取締役社長の長澤成博氏
SANKO MARKETING FOODS代表取締役社長の長澤成博氏