基本的には常時、何かに落ち込んでいる。

 小説を書き上げれば、あぁ、とんだ駄作を書いてしまったと落ち込み、誰かから称賛の言葉をもらったとしても、世辞を言わせてしまったと勝手に落ち込む。たぶんもう、どうにもならない。

 これは肩こり腰痛よろしく、折り合いをつけて飼い慣らし、騙し騙し一生付き合わねばらぬ疾患なのだろうと諦めている私だが、ポジティブな人間に憧れてしまう瞬間というやつは、どうしたって存在する。というわけで前頭葉にメスを入れる性格矯正手術を――というわけにもいかないので、私は概ね2つのステップで心の均衡を図ることになる。

 まずは「一見してポジティブに見える人間の内実を見極め」、そして「本当の意味でネガティブを失ったときに何が起こるのか」を冷静に捉まえるのだ。

『#塚森裕太がログアウトしたら』浅原ナオト/著(幻冬舎文庫)
『#塚森裕太がログアウトしたら』浅原ナオト/著(幻冬舎文庫)
すべての画像を見る

『#塚森裕太がログアウトしたら』浅原ナオト/著(幻冬舎文庫)

 画面上でキラッキラの笑顔を見せてくれる芸能人やアイドルたちは、悩みなどひとつもない生粋の楽天家だから笑えているわけではない。彼らには彼らなりの地獄がある。

 バスケ部のエースである塚森裕太くんは、ある日のインスタグラムで自身がゲイであることを爽やかにカミングアウトする。誰しもに愛されていた好青年の告白は部員にも友人にも快く受け容れられ、セクシャリティの違いなどほんの些細な問題だと多くの人が笑みを浮かべる。しかし本当に、誰の心にも細波は立たなかったのだろうか。繊細な筆致で描かれるセクシャリティを中心に据えた群像劇に、読者は「きれいごと」の向こう側にある、確かな質量のある「現実」を見据えることになる。

 ポジティブに見える人は、ポジティブに見える人でしかないのだ。楽天家に憧れるのは自由だが、いつだってその向こう側にある地獄を推し測る努力を、忘れずにいたい。

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー/著、中村妙子/訳(ハヤカワ文庫)
『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー/著、中村妙子/訳(ハヤカワ文庫)
すべての画像を見る

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー/著、中村妙子/訳(ハヤカワ文庫)

 列車が来ない。やることのなくなったジョーンは、仕方なく半生を振り返る。私はよき妻で、よき母で、よき人間であったはずだ。自身の今日までに太鼓判を押そうとしていた彼女であったが、しかし長大な内省の中でいよいよ人生の真実に気づいてしまう。

 本書を読めば、我々はいとも簡単に気づくことができる。ネガティブは財産に他ならないのだ、と。私の持っている定規の寸法が最も正確だと胸を張り始めた途端、世界を見つめる視界は音もなく曇り始める。やがて世界に見放される。


 「ネガティブ万歳!」と飛び跳ねることができないからこそ、ネガティブな人間なのだが、最悪を想定してしまう慎重さは愛してしかるべき武器だ。締め切りに遅れたらどうしよう。そんな弱い心を持つ人間だからこそ、私はこの原稿を期日の2週間前に完成させることができている。胸は張らずともよい。しかし適量のネガティブを決して手放すなかれ同志諸君。

 根が暗い人間の未来は、きっと明るい。

オリジナルサイトで読む