六本木育ち「小学校の頃は勉強できた」中学では… 

――出身地は東京・六本木だとか?

胡桃そら(以下、同) はい。周りは「幼稚園から受験するのが当たり前」という環境でした。私は、幼稚園から大学まで一貫の私立に落ちた子たちが集まるような、公立の学校に行っていたんですよ。 同級生には芸能人の子どももいました。あと、登校中におすぎさんとピーコさんを見かけたり、私のお母さんのネイルサロンにベテラン俳優の奥さんが来ていたり……芸能人は身近な存在でしたね。

「六本木」とか「港区」っていうと(流行や文化を)発信しているところだと多分みんな思っているんですが、私が行ってたのは、勉強できない人がいじめられる、そんな学校だったんですよ。

だから小5で数列とかやっていて、真面目ではないんですが、勉強で置いてかれるのが嫌でした。塾にも通っていましたが、それも「流行っているから」という感覚でした。学校では、テストを早く解いて答案用紙をすぐ裏返しにして寝る人がモテたんです。

周りは開成中学校とか慶應義塾中等部とかに行くような人ばかり。みんな、めっちゃ頭よかったです。受験しない人は、クラスに1〜2人くらいしかいませんでした。

インタビューを受ける胡桃そら氏(写真/集英社オンライン)
インタビューを受ける胡桃そら氏(写真/集英社オンライン)
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――中学、高校でどうなりましたか?

中学までは、めっちゃボーイッシュでしたね。中二病で、男の子になりたい時期だったんですよ。髪の毛はベリーショートだし、メイクもしないし、男の子みたいな格好をして、女の子とチューばっかしていました。

高校生になって、承認欲求が芽生え始めました。中学は制服が超ダサかったんですけど、高校の制服はかわいくて、「女の子の格好もいいじゃん」って思うようになってきたんです。それから「かわいくなりたい、女っぽくなりたい」と思って、メイクを覚えました。

高校では、港区出身ではない少しやんちゃな人たちと知り合って、お母さんの言うことも聞かなくなり、学校にも途中から行かなくなりましたね。

芸能活動を始めたのも、高校生のときです。もともとモデルに興味があったんですが、「身長が高くないとなれない」と思っていたんです。でも、でも、当時の元カレが新しく付き合った女の子が、私くらいの身長でモデルやっていて。それを見て、なんかいいなって思ったんです。

当時は低身長モデルが流行り出したころで、「私にもできるかも」って思って読者モデルに応募したり、フォトグラファーにポートレートを撮ってもらったり、ちょっとだけ雑誌に載ったりとかしました。

それで、SNSのフォロワーが2000人くらいの少し有名な高校生になったんですよ。そのころから「有名になりたい」という欲が出てきました。