この順番で読むと発動する
という仕掛けを無数に

―― ある章を読んでしまったら、その章の記憶が以降の話を読む際にどうしても関わってくる。読む前の自分には誰も戻れないという意味で、人生における「一回性」を痛感する体験でもあったなと思いました。

 好きな言葉があるんです。名言でもなんでもない当たり前の言葉なんですけども、「全ての出来事は一回しか起きない」。『N』に関しても同じで、初読は一回しかないんですよね。ただ、人って忘れるものなので、少し時間が経ってからもう一回読んでもらうのはいいかもしれません。なんとなくストーリーを覚えていたとしても、ディテールは忘れちゃうものですからね。ちょっとした描写にも注目していただけると嬉しいんですよ。たとえば「飛べない雄蜂の嘘」というタイトルの章と「眠らない刑事と犬」という章を続けて読むと、どちらにも除夜の鐘の描写があるんですね。そこには、どんな意味があるのか。「眠らない刑事と犬」と「名のない毒液と花」というタイトルの章のどちらを先に読むかによって、ある場面で見えるものが全く違ってくる。この順番で読むと発動する、という仕掛けを無数にちりばめているんです。

―― 本書を再読する楽しみは、格別なものがありそうです。

 一つの章を読んだ時に、「この男の過去が別の章に書いてあったな」と覚えているのも面白いですよね。僕、人付き合いが好きなんですけど、その人の過去を知っているかいないかで、その人の言動に対するイメージって随分変わるじゃないですか。他の人にとっては特別な意味が感じられない言動も、その人にとっては大きな意味があったんだろうなと感じる瞬間がある。そういう感覚もこの本で表現してみたかったんです。あるいは、近い未来にその人に何が起きるかを知っていて話すのと知らないで話すのとでは、話す内容が変わってきますよね。そんな状況は現実にはあり得ないことですけど、この本の中でならできるというか、起きる。その不思議な体験も含めて、読者それぞれが違う物語の色を見てくれたら本望です。

―― ちなみに、道尾さん的にトゥルーエンドと言いますか、この順番がベストという読み方はあるんでしょうか?

 それは全く考えなかったですね。僕の中に「正解」は何もないですけど、細かい話をすれば、この章の先にこっちの章を読んで欲しいな……という「希望」はあります(笑)。ただ、ここでは言わないようにしておきますね。

こんな本が読みたいけれど
売っていないから自分で作る

―― 今号は「ナツイチ」特集号です。感想文などの宿題もありますし、夏休みに新しい本や作家と出合ったという人は多いと思うのですが、道尾さんはどうでしたか?

 国語の教科書なんかは別にして、僕は長いことまともに小説を読んだことがなかったんです。ただ、高校二年生の時に、当時付き合っていた女の子が純文学マニアだったんですね。ティーンエイジャーの男の子なので、負けたくないって気持ちが出てきたんですよ。僕も何か読まなきゃなと書店に行ったんだけれども、何を買っていいかが分からない。棚にあった本の中で唯一、著者名もタイトルも知っていて、しかも薄い本が『人間失格』でした。

―― 道尾さんの作家人生は、太宰治から始まっていたんですね。

 当時は電車に乗ると、本を読んでいる人が多かったんですよ。みんなが読んでいる四角くて薄いモノの中には、僕は物語が入っているものとばかり思っていたんですけど、『人間失格』の中には全然違うものが入っていたんです。それは何かと言われても分からないんですが、もっともっと質量が大きいものが入っていて、ものすごく衝撃を受けました。そこからいわゆる純文系の本を読むようになり、だんだんとミステリー系も読むようになって、一九歳の時に作家になろうと思ったんです。自分が書いたほうが面白いんじゃないか、という気がしてきて。

―― 若さゆえの自信って、大事ですよね。

 クオリティで言えば、プロの作品と当時の僕の作品は一〇〇と一ぐらい違うんですが、趣味で言うと、自分が書いたものって一〇〇%自分に合っているわけじゃないですか。書いてみたら、やっぱり面白かったんですよ。そう思うのは世の中で僕だけなんだけれども、別にそれで問題はなかった。その感覚はデビューしてからもずっと続いていて、こんな本が読みたい、でも書店に売っていないから自分で作る、という自給自足的な発想で二〇年近くやってきたんです。

―― 先日、全作品の累計部数が七五〇万部を突破したという発表がありました。自分の趣味と合う人が、思いのほかたくさんいたという感じですか?

 まさにその感覚で、「あっ、こんなにいたの!?」と(笑)。自分がやりたいことをやっていたらこんなに読者がついて、びっくりしていますね。ありがたいし、心強いです。

―― 道尾作品でしか読めない「体験型」のミステリー、今後のトライアルも楽しみにしています。さすがに、『N』のコンセプトに直結するような作品は、これ以上、難しいと思うのですが……。

 いや、ありますよ。今、『I』というタイトルの小説を書こうとしています。Nと同じで、アルファベットのIは上下逆さまにしてもIですよね。その本は二章の小説からなるものなんですけれども、どらちも一人称で、I(私or僕)。やはり上下反転で印刷されていて、どちらを先に読むかで決定的に結末が変わる、となるものを目指しています。読む順番によって、作中の誰かが生き残ったり、誰かが死んでしまったりということが起きるんです。

―― 究極の二択ですね!

 Aの次にBを読んだ場合はバッドエンド、Bの次にAを読んだ場合はグッドエンド、という形にするつもりなんですが、めちゃめちゃ難しいなと思っているところですね。ただ、自分で自分を追い詰めるためにも、この記事に記録しておいてもらえるとありがたいです(笑)。

N
道尾 秀介
2024年6月20日発売
990円(税込)
文庫判/408ページ
ISBN: 978-4-08-744658-6

読む順番で、世界が変わる。
全6章、あなた自身がつくる720通りの物語。

「本書は6つの章で構成されていますが、読む順番は自由です。はじめに、それぞれの章の冒頭部分だけが書かれています。読みたいと思う章を選び、そのページに移動してください。物語のかたちは、6×5×4×3×2×1=720通り。読者の皆様に、自分だけの物語を体験していただければ幸いです。/著者より」未知の読書体験を約束する、前代未聞の一冊! この物語をつくるのは、あなたです。

すべての始まりは何だったのか。
結末はいったいどこにあるのか。

「魔法の鼻を持つ犬」とともに教え子の秘密を探る理科教師。
「死んでくれない?」鳥がしゃべった言葉の謎を解く高校生。
定年を迎えた英語教師だけが知る、少女を殺害した真犯人。
殺した恋人の遺体を消し去ってくれた、正体不明の侵入者。
ターミナルケアを通じて、生まれて初めて奇跡を見た看護師。
殺人事件の真実を掴むべく、ペット探偵を尾行する女性刑事。

道尾秀介が「一冊の本」の概念を変える。

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