先進国の中で最悪の「相対的貧困率」

かつて「一億総中流社会」と言われた日本で、今も「自分は中流」とみなす国民は多いのですが、実態はすでに「下流」であるケースは少なくありません。2023年に厚生労働省が発表した「国民生活基礎調査」では、21年の日本の相対的貧困率は15.4%で、先進国中最悪の値でした。「相対的貧困」とは、等価可処分所得(世帯可処分所得を家族人数で割った数字)が中央値の半分未満で暮らす人々のことです。日本の場合は1人当たり127万円未満がそれに当たります。

「相対的貧困」は、目に見えにくいのも特徴です。食べ物や衣服にも事欠き、飢えや無学に苦しむ「絶対的貧困」と比べれば、いちおう屋根のある家に暮らし、何とか食べるものはあるし衣服もある。しかも、格安スマホも持っているとしたら、その人のリアルな経済状態などは傍からはなかなか窺えません。

それでも日本で暮らすにあたり、年間127万円という数字は厳しいのが現実です。公立学校には通えても、制服やランドセル、修学旅行費用を捻出できない、冷蔵庫や洗濯機を買えない、冠婚葬祭のためのお金の用意やスーツの新調ができない、皆で楽しむ旅行や飲み会に参加できないなどなど、経済的理由から「皆と同じ」生活水準を得られない状況です。

そういう人々が、およそ6〜5人に1人の割合でいる国が、今の日本なのです。

自己責任論が跋扈する日本では、病気や怪我、うつ病やいじめなど、人生の蹉跌のきっかけは本人の力が及ばない部分にも潜んでいます。就労においては、起業や転職、自分探しなどの〝空白の期間〞も高リスクです。

日本の相対的貧困率は先進国で最悪の15.4%「一億総中流社会」が崩壊し「身分社会」に逆戻りした“近未来の日本”で確実に起こること_2

多様性の時代とはいえ、日本はまだまだ「新卒一括採用社会」であり、王道の「高学歴・高収入企業への就職」「公務員としての安定」「医師や看護師など手に職」をつけさせた方が、人生の保険となる。こうした通念こそが塾歴社会の過熱を招き、同時に「下流には落ちたくない」「自分よりひどい不幸がある」ことを確認したい欲求、もしくは他人へのマウンティング行為にもつながっているのではないでしょうか。

私が日本を「不幸の共同体」とみなすのは、「人間は差別したい生き物である」ことに加え、「差別することでようやく安心できる」「下流を見下すことで自分は正しい、自分は下流に落ちないと思える」という心理的な脆弱性が社会の根底にあるからです。

結婚相手に学歴と職歴と高身長と顔面偏差値を求める若者の心理にも、「わがまま」「夢見がち」「ないものねだり」以上に、極めて怜悧な「現実主義者」が隠されています。今はかろうじて「中流」の体を装い生活していても、いつ「下流」に落ちるかわからない、もしくは自分の子も「中流」でいられるかわからない恐れ。

だからこそ結婚相手には、人生の保険をかけられる十分な資質がなくてはならないとなるのです。