全仏オープンで歩み出した“理想像”への旅路
自身の名前の由来でもある、凱旋門がランドマークのこの町で、小田は二つの凱歌を奏す。いずれの試合も、重要なポイントやリードされた局面で、闘志を前面に出してつかみ取った勝利。
逆境での強さには、小田本人も「巻き返すのは得意というか、エネルギーになる」と自覚的だ。
その強さの理由を問われると、「ありきたりですが……」と照れた笑みをこぼして、小田は続けた。
「病気から戻ってきたというのも、大きいと思います。ずっと抗がん剤治療をして本当に体力がなくなった状況から、今、普通以上のレベルでスポーツができていることに自信はある。どんなところからでも上がってこられると、そういう経験からも感じている。だから試合中も諦めないし、どんな状況になってもいつも通りのプレーができる」。
なお今大会でのベスト4進出で、小田が手にした賞金は14,000ユーロ、日本円にして約200万円だ。“プロ車いすテニスプレーヤー”が成り立つのは、競技者を支える構造があるからでもある。
奇しくも、というべきか、あるいは両者の運命を思えば必然か、小田にとって初のグランドスラムは、準決勝で国枝に敗れることで終幕した。
「改めて強かったなと、率直に思います」
試合後に完敗を認めた小田の姿は、数日後、決勝戦を戦う国枝の試合のコートサイドにあった。
その小田の見る前で、国枝は幾度も逆境に追いやられながらも、その都度蘇りタイトルをつかみとる。
ガッツポーズを掲げる国枝の姿を目に焼き付け、小田は、目指す地点への距離を測ったはずだ。
国枝との対戦を控えた日、小田は言っていた。
「自分は、国枝選手とは少し違った道を進みたい。若さを生かし、年齢に関係なく活躍するというかたちで」
最年少世界1位にこだわるのもまた、国枝という絶対的なカリスマがいてこそ。
「一つの理想形」と仰ぎ見つつも、今では「ライバル」と目する存在を超えるために、小田は唯一無二の王者像を、刻む轍で描きにいく。
取材・文/内田暁