主人公にも容赦をしない
――そして物語の主人公の一人、大野治長。彼は茶々の乳母児でありながら、彼女を深く愛した人物でした。度重なる落城をともに生き延びた治長ですが、彼はずっとこの「上司」たちに翻弄されていきますね。特に秀吉との対峙の中で、治長は自らの罪業の翳(かげ)を背負いながら生きていくことになります。この二人の関係を書くにあたって意識されていたことはありましたか?
佐藤 やはり小田原城攻めのシーンでの秀吉と治長の対峙は、書きながら熱くなりました。治長も、秀吉も、互いに相手の存在を消してしまいたいくらいに思っていながら、茶々や立場のことを思ってそれができないでいる。このもどかしさはとても大きいなと。
密通という過ちを書くにあたり、治長はかなり意識的に虐(いじ)めてしまったな……というのが正直な思いです。
――治長を虐める……?
佐藤 はい、苦悩する治長の姿がどんどん愛おしくなっていってしまって……(笑)。というのは冗談半分、本気半分です。茶々と密通後の治長はずっと翳を背負っていきますが、特に鶴松の死のシーンは自分でも不思議なくらい筆が乗ってしまいました。彼の脳裏によぎったものは人の命への価値観が根本的に違ったであろう戦国の世においても、自らを否定せずにはいられないくらいのショックだったと思います。だから、治長が背負ったものは甘えず、容赦せずに書かなければと心掛けました。
――もう一人の主人公、茶々についてもおうかがいしたいです。治長が苦悩の底に沈んでいく一方で、彼女の立場もどんどん移り変わっていきます。しかし彼女は豊臣家の中で生きていくという覚悟を自ら決めることのできた人物でもありました。佐藤さんにとって茶々はどういう人物でしたか?
佐藤 同じ女性として茶々という人物を調べていったときに、彼女の意志はどこにあったのだろうか、ということが気になったんですね。二度の落城を経て、仇の秀吉の側室になる。その子を産み、最後は豊臣家として滅んだ。こう書くだけでも壮絶な人生であることは明らかなんですが、女性としてこの人生をどう感じていたのかは書きたいなと思っていました。
一般的には、高慢や悪女のイメージがありますが、私の中ではそうではなくて。置かれた状況に、涙だって流しただろうし、逃げ出したくなっただろうし。それでも心折れずに「こうするしかない」という選択肢を自ら選び取っていった人物だと思ったんです。
――治長が、秀頼を抱える茶々を見て、茶々が変わってしまったことに愕然(がくぜん)とするシーンも印象的でしたが……。
佐藤 あのシーンの治長は、罪の意識と茶々への愛と、さらには秀吉への嫉妬で苦しみまくってます(笑)。
治長が茶々の姿を見て愕然とするのは、治長には踏み込めない領域に茶々がいる、ということに気づいたから。それは、茶々が母親になったということ。治長にとっては母親になってしまった、というところだと思います。
私自身も、例えば学生時代の友人が母親になっていることに動揺したり、変わってしまったなあ、なんて思うこともあったり。彼女自身は変わっていなくても、親になったことのない身にしてみると、学生時代は同じものを見ていた友人が、今はもう私の知らない景色を見ている、そんな気がして。
それを治長と茶々の立場で考えたら、治長の苦悩は、いかばかりか。治長の知りえぬ秀吉の愛情によって、茶々は「母親」として秀頼を抱いている。治長はそれを認められない、認めたくない、そして独りで悶えていく。二度目の密通の後の、二人の心情のすれ違いは、書いていて難しい場面の一つでした。
――同じ女性の登場人物として、秀吉の正室である寧(ねい)はどういった人物でしたでしょうか?
佐藤 茶々と治長以外で一番思い入れがあるのは寧ですね。周りも自分も、おそらく秀吉の子ではないと察している子供を、茶々が出産する。でも秀吉は我が子として育てることを決めていて、なおかつ自分には実子がいない……。女性として、妻として、心中穏やかなはずがないですよね。
――ところどころ見え隠れする、寧の毒といいますか、怖さもありますよね。
佐藤 思うところはあるけれど、自分の矜持(きょうじ)は守りたい。そして愛する夫、秀吉の気持ちを汲んでそれを表には出さない。この作品ならではの、秀吉と寧の深い愛情が描けたらいいなと思っていました。先ほど治長と秀吉の関係を話しましたけれど、一方で茶々は寧と対峙していく構図をイメージしていました。
茶々との別れの盃を、さらりと「ああ、美味しい」と言っちゃう寧。愛らしいのに、毒気があって、書いていて「怖っ!!」と言ってしまいました(笑)。
――寧の茶々へ向けられた感情は秘められている部分も多くて、ゾクゾクするシーンが沢山ありました。そして、名脇役として、真田信繁もあげたいです。どこまでも格好いい人物だなと思ったんですが、元々信繁のファンだったりしたんですか?
佐藤 そんなことはないんですが、やたらとカッコよくなった人物です(笑)。治長と茶々の物語が余りにも苦悩に満ちているので、信繁とのシーンは爽やかなものであってほしいなという気持ちがありました。書いていくうちに治長のことがどんどん愛おしく、かわいそうになっていったので、彼にとって一息つける場面を作ってあげたかった。信繁がいるシーンは読者の方にも癒しのように感じていただけるのではないでしょうか。