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市場が立つ日を表す

「都道府県魅力度ランキング」が毎年発表されるたびにメディアは必ず取り上げ、なぜか最下位となった県の担当者がコメントを求められる(都・道・府はたいていベストテン圏内)。その「魅力度」なるものを判断するのがどんな人たちかは知らないが、「住みたい街ランキング」と同様にきわめてナンセンスだとつねづね思っている。

その魅力度ランキングで令和2年(2020)、栃木県が「まさかの最下位」となって県内に衝撃が走った。東照大権現(徳川家康)を祀った国際観光地・日光を擁するのを知っての所業か!と実に腹立たしかったに違いない。

しかし日光の市役所が平成の大合併以来、旧今市市(日光市今市本町)に置かれていることはイマイチ知られていない。合併前の今市市の人口は旧日光市の倍以上に及んでおり、地理的に見ても交通の要衝である今市に日光市役所を置くのは他の合併町村にとっても合理的だ。いずれにせよ「名を捨てて実を取る判断」なのだろう。

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日光東照宮
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交通の要衝といえば、そもそも今市の町が発生したのも、ひとえにその場所柄である。市場というのは、たとえば山と平地の産物が交換される谷口や川の合流点、街道の分岐点など各方面への交通が便利な場所に発生することが多い。

今市は「新しい市場」を意味し、『角川日本地名大辞典』には「東照宮鎮座以前に久治良・野口・瀬尾・鉢石・瀬川・所野の6か村持回りで行われていた六斎市が日光街道成立に伴って当地に定着したことにより、新たにできた市場の意味から今市と称するようになった」という説が紹介されている。

いわば普通名詞に近い地名だから、今市の地名は全国に点在している。このうち島根県の今市には現出雲市の中心市街があり、山陰本線の駅名も当初は出雲今市で、昭和32年(1957)に出雲市駅に改称された。新しい市場は今市の他に「新市」と名乗る例も各地にある。大字レベルでは兵庫県以西に限られるが、広島県福山市の新市は慶長の頃には近くに古市、向市の地名もあったという。JR福塩線には新市駅もある。

その反対が文字通りの古市だ。こちらも全国にいくつもあり、中には大阪市城東区の古市と旭区の今市、奈良市の今市町と古市町など数キロ程度の範囲で新旧ペアが存在することもある。

大阪府羽曳野市の古市は古代より東西を結ぶ竹之内街道と南北の東高野街道が交差するやはり交通の要衝に発生した物々交換市に由来するという。近代以降も、まずは東高野街道に沿って河陽鉄道(後の大阪鉄道、現近鉄道明寺線・長野線・南大阪線の一部に相当)の柏原~河内長野間、後に竹之内街道に沿う路線(現近鉄南大阪線)も敷設されており、古市駅と道明寺駅が両者の交差地点である。

市場の地名としては、四日市、五日市、八日市など市が開催される日付に由来するものが全国的に分布しており、四日市なら毎月4日、14日、24日の「4の日」に3回市が立つ。このような形態を「三斎市」と呼んだ。

商業の発達に伴ってその名のまま月6回の「六斎市」に移行した場合もあるが、律儀に「二日五日市村」(現東京都品川区南品川の一部)など愚直に名乗るケースも。新潟県南魚沼市の現役地名である四十日は、4の日と10の日に市場が開かれたことによる短縮形だ。この大字は平成16年(2004)までは市場関連地名である南魚沼郡六日町の大字だったから、六日町大字四十日という「市場づくし」であった。ついでに同類の三重県四日市市市場町は市の字が3つ連続する。