人は孤立死、孤独死をとても辛いものと強く思っている
この共同墓を作ろう、というきっかけになったいきさつを山友会のメンバーの薗部富士夫さんの思い出からまとめよう。
10年ほど前のこと。毎日のように上野公園から歩いてかよってくる老人のホームレスがいた。通称「やまちゃん」、70歳。山友会に来ては自分にできる範囲の手伝いをして夕方になるとまた歩いて上野公園に帰る。山友会の勧めで生活保護を受給し、ドヤで暮らすことになったがドヤに迷惑をかけてしまうことがあり退去しなければならなくなった。
姿をみせなくなったやまちゃんのことが心配で皆で上野公園などに探しにいったが見つからない。1年後のある日、上野駅周辺を夜回りしていると偶然やまちゃんと出会った。一人さびしそうにたっていた。
「また山友会においで」と言うと再び戻ってくれた。そうしてやまちゃんは今度こそドヤの住人になった。彼のような人も安定して暮らすことができるような場所を作りたいという思いが今のケア付きの宿泊施設「山友荘」を作るきっかけになったという。
入居したやまちゃんはそれからしばらくして脳卒中で倒れ、なんとか回復したものの80歳を迎えたときにがんで死去した。しかし戸籍もなにもなく連絡する親族もいない、という状況だった。遺骨の行き場がない。無縁仏となると空いている共同墓地に入れられるため、どこに埋葬されることになるかもわからず、仲間との縁も途切れてしまう。
それまでもそういうおじさんのことがしばしば問題になっていたが、このやまちゃんの死が大きなきっかけになって、山友会の仲間のためにお墓を建立する話が具体的になったという。
春のお彼岸。ぼくは前年亡くなった、山友会の仲間(2人ともひとりで亡くなっていたそうだ)の納骨式に光照院に行った。その日も風の冷たい日だった。かなり大勢の山友会の仲間が来て拝礼し、線香をあげた。
人は孤立死、孤独死をとても辛いものと強く思っているものなのだ、とそれまでそういうことを考えたことのないぼくは墓という「死」の象徴的なものへの認識を寒さのなかで真剣に考えていたのだった。
文/椎名誠
写真/shutterstock
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