グラノーラ・バーのリアル

錦織 『コーリング・ユー』では、食べ物が結構出てきますよね。特に美味しそうなのは、タラバガニのバター・ソテー・サンド。これ、いいですよねぇ。

永原 ありがとうございます。「美味しいだろうな~」と妄想しながら書きました(笑)。

錦織 しかも「新鮮なタラバガニ」って書いてあるのがまた食欲をそそります。あとは、そうそう、たくさん出てくるグラノーラ・バー。イーサンは研究に没頭するあまり、食べるのを忘れてグラノーラ・バーばかり食べている。研究者の方が見たらすごいリアルだと思うんじゃないでしょうか。 

永原 実際に、知り合いの研究職の方が仕事にとても打ち込んでいらっしゃるのですが、その人も集中して働いているうちに食事のことを本当に忘れてしまうんです。だから、そういった「ザ・研究者」みたいなタイプの人は現実にいるという実感を持ちながら書いていました。

錦織 リアルに思ったことで言うともう一つ、セブンの訓練をするときに、飼育員室の壁に工程表を張り出すじゃないですか。今の時代、仕事の情報は全部PCやネットワークで共有されているけれど、忙しいみんなが確実に見られるようにするとなったら、最後はアナログに戻って、張り紙になるんですよね。それも読んでいてとてもリアルに感じました。

永原 なんだかんだ仕事を続けてきていると、現場と管理部門の仕事の仕方の違いや、軋轢も目にしたりして。何とかみんなで乗り越えていくには、形にとらわれずに、やりやすい形を模索する必要があるという実感が、個人的な経験からもありました。

錦織 素晴らしいですよね。ご自分の体験から想像を膨らませて書かれていて。この話では、人間サイドで描かれるパートの主役は科学者のイーサンと、飼育員のノアで、その二人の関係も本当に魅力的に書かれているし、個性が良く出ていて、読み応えがありました。

永原 ありがとうございます。この作品では、シャチのセブンは他種動物とコミュニケーションをとる能力を持っているという設定で、イーサンやノアとも心を通わせています。錦織園長は水族園でお仕事をされている中で、人間と動物とのコミュニケーションを、どうご覧になっていますか?

錦織 日常の生活だと、ペットを除けば、私たちは同じ種の間だけでやりとりしています。ですので、動物とのコミュニケーションというのは実は結構難しいのですが、動物園や水族館の飼育職員は、動物とわかり合おうとする必要があるんですね。その中で感じるのは、動物とのコミュニケーションのとり方というのが、動物や飼育する人間によって、多様なのだということ。中でも、鯨類のイルカなど、人間に近いレベルの知能や、そもそもコミュニケーションを楽しむ性質を持つ動物は、特別ですね。そうした特別な動物とのコミュニケーションに、『コーリング・ユー』は触れているのではないかと思いました。葛西臨海水族園には、シャチやイルカなどはいないのですが、水産の調査研究員をしていたときは海に年中出っぱなしなので、イルカやクジラをたくさん見ました。イルカとかは本当に、一緒に泳いでくれますね。

永原 好奇心が旺盛って言いますよね。人間を見ると、「この生き物は何だろう」って来るんでしょうか。

錦織 そうかもしれませんね。特に子供のイルカは本当に好奇心があって、近くにいくとすぐに絡んで、まとわりついてきます(笑)。 

緩やかに繫がり合う生命 

錦織 『コーリング・ユー』を読んでいて、連想する人がいるかもしれない、と思ったのはホロビオントという概念です。生き物は、どこからが「個体」なのか、わからない場合もあるんですね。いろんな生物が合わさって、一つの生命体のようになっている場合がある。一番イメージしやすいのは造礁サンゴでしょうか。サンゴは自分で栄養を取り込むけれど、光合成によってもエネルギーを得ています。藻類などと一緒でなければ暮らしていけない。なので、ひとかたまりに見えるサンゴだけを取り上げて「個体」と言って良いのか、微妙なんです。どこからどこまでが「個体」なのか、わからないから。
 そして実は、ほかの地球の生命体についても、緩やかなホロビオントを形成している可能性があります。例えば私たちは、陸の人間の世界と海の世界を区別したりします。しかし今の地球の生物の捉え方から見ると、そうした線引きは明確にあるわけではなく、それらは何らかの形で、ゆるく繫がりながら、一つの生命体を形成している可能性があるんです。なので海の世界は、完全な異世界ではない、と言うことができるんですね。永原さんご自身は『コーリング・ユー』を書かれているとき、陸の世界と海の世界というのは、どのように捉えられていたんでしょうか。

永原 ホロビオント、とても面白い考え方ですね。そうですね、書いている間は、二つの完全な別世界、とは考えてはいませんでした。やはり地球という一つの環境がベースとしてあって、その中できっと、繫がり合っているものがいろいろあるのだろうな、と思っていました。同時に、まだわかっていないこともたくさんあるんだろうな、と。なので、物語の中で重要なキーとして出てくる発電菌などは、「遺伝子改良の研究がされるくらいだから、人間が作るまでもなく、より効率的な発電のできる遺伝子を持った菌が、実はすでにいても良いのでは?」と思って話の中に組み込みました。もちろん、あらゆる面において素人だったので、本当にツッコミどころはたくさんあると思うのですけど……。

錦織 発電菌でいうと、この『コーリング・ユー』という作品は、非常に専門的な領域を扱っているところがあって、その部分をどうやって調べたのか、とても気になっていました。発電菌だけでなく、生物多様性条約や国連海洋法、海洋物理の話で海中の乱流とか、そうした話が普通に出てくる。しかもこうした言葉を正しく使いながら、うまく物語の中に織り込んで話を進行させていくのが見事で。「一体、この永原皓さんという方は何者?」と気になっていました(笑)。

永原 そうおっしゃっていただけて恐縮です。素人なのでお恥ずかしい限りですが……。一つの資料を調べると、そこで紹介されている資料をさらに追って、枝分かれしていくように調べものが進んでいくんですね。そうすると、調べものの領域がどんどん広がっていくので、その中から小説に使える知識を集めて、物語の中に組み込んでいくようにしました。 

永原 皓 × 錦織一臣 小説すばる新人賞受賞作『コーリング・ユー』 刊行記念対談_3