死刑求刑の直後、実父が語った言葉

論告求刑前日の2003年5月21日。わたしはAさん宅にいた。10日ぶりの訪問だ。事件後、マスコミが殺到したため玄関にキーチェーンをつけたが、事前に鍵は外され、ドアも開いていた。

こたつの上には珍しく缶ビールがなかった。「今日は飲んでいなのか」と聞くと「唇がカサカサしてな」と調子が悪そうだった。半袖の白シャツに明るいブルーのジャンパー、薄い生地のナイロンのジャージ姿は、この前と同じだった。「全部1000円以下や、俺は年中こんな格好だよ」と笑う。

「マスコミが来たって、ワシはもう相手にせん。新聞記者なんか『絶対書きませんから』と約束しておいてしっかり記事にしよる。テレビの記者は『自費でビデオを買ったんで、記念にお父さんを撮影したい』というさかい、取材を受けたら、なにしっかり放送してるやないか。

そいつを呼び出して問い質したら、『知らないうちに誰かがビデオを持ち出した』とぬかしよる。もう、いい加減にさらせと言いたいわ」

翌5月22日、論告求刑当日。午前6時半に起床すると、Aさんは味噌汁を作ってくれた。

エノキにジャガイモ、根昆布など健康を考えた食材をふんだんに使い、隠し味の昆布茶がいい味を出していた。前夜の残りのおにぎりをふたりで頬張る。「天ぷら食べるか」と言いながら何度も台所に立った。実の息子が死刑を求刑される日に、他人が居座っているわけで、落ち着いてテレビなど見られるはずはなかった。

猫に餌をやる宅間守・元死刑囚の実父Aさん
猫に餌をやる宅間守・元死刑囚の実父Aさん

「宅間守に死刑求刑」

正午。NHKは論告求刑をトップニュースで報じた。

「死刑は当然である。それを受け止め全うすることが、守の人としての道だ」

テレビ画面からわたしに向き直り、原稿を読むように淡々とAさんは語った。記者であるわたしへの最大のサービスだったのだろう。

護送バスに移動する逮捕当時の守の映像を見ながら、「舌で頬を尖らせているだろう。あれは精神病院から飛び降りたときの、骨折の後遺症があるからなんだ。やっぱり頬が気になるんだろうな」と静かに語るその姿に、父親としての悲哀が漂った。自宅前にはマスコミが集まっていた。

「心境に変化はない。今までにすべて話している。ちゃんと勉強して来い。俺をまたおもちゃにする気か」

Aさんは大声を出して追い返した。翌日の新聞に書かれることがわかっていて、同じことを繰り返す。

「ワシは謝ることもできないし、自分のやりたいように70年生きてきた。変えろと言われても無理な話や。損な性格だとわかっているが、これがワシの生き方なんや」